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...... 2023年03月01日 の日記 ......
■ 《 雄大なソナタ 》   [ NO. 2023030102-1 ] s

【 ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 Op. 58 】 
       
ショパン,フレデリック・フランソア 〔ポーランド〕
(1810.03.01〜1849.10.17) 39歳 結核
       

           
「ピアノの詩人」と呼ばれたショパンは、213年前の
3月1日にポーランドの首都ワルシャワ近郊の
スカルベック伯爵夫人の所有地である
ジェラゾーヴァ・ヴォラで生まれた。

フランス人の父が、伯爵家のフランス語の
家庭教師とし住み込んでいたためである。
母は伯爵夫人の遠縁にあたり、古いポーランドの
貴族出で、家政婦として働いていた。

2人の間には、4人の子どもが生まれたが、
ショパンは姉と妹2人の間の長男だった。
父はその後伯爵家を出て、学校の
フランス語教師として一生を終えた。

ピアニストとしてのデビューした19歳のころ、
ワルシャワ音楽院で声楽を学んでいた
コンスタンティア・グワトコフスカに恋心を抱き、
「ピアノ協奏曲へ短調」の情熱的な第2楽章は
初恋の彼女から、創作への霊感を与えられた。

二人の恋は実ることはなく、この曲は
コンスタンティアには贈られず、1831年に再会した
デルフィーナ・ポトツカ伯爵夫人に捧呈された。
歌手で、美しさに加え教養も高い彼女とは、
パリの社交界で知り合い、後年パリで親交を結び、
臨終の際にもショパンのために歌を歌ったとされる。

25歳のときにドレスデンで出会った幼友達の
マリアは、ヴォジンスキ伯爵の令嬢で、
魅力的な乙女に成長していた。
ピアノも上手で、彼女に心を惹かれ
親しくなったが、この恋も実ることはなかった。
ショパンは別れ際に彼女に贈ったのが
「別れのワルツ」である。

友人のリストが紹介して知り合った8歳年上の
女流小説家のジョルジュ・サンドとの恋愛関係は、
27歳のときから9年間続いたが、彼女の
先夫との間の2人の子どもの養育に関して、
意見が合わなかったことが原因で別れている。
しかしその間、「ピアノ・ソナタ」など
円熟期の名曲を次々と生み出した。

ショパンは、ピアノ・ソナタを3曲作曲している。
第1番は18歳のころ、作曲練習用に書いたもので
陽の目をみたのは、死の2年後のことだった。
今日では、滅多に演奏されることはない。
      
    ピアノ・ソナタ第1番 ハ短調 作品4 (1828年)
    ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 作品35(1839年)
    ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58(1844年)
        
第2番と第3番は、ショパンの最円熟期のもので、
彼の全作品中傑作とされている。
第3番は、第2番よりも有機的な統一が認められ、
全体として規模が雄大となり、ショパンの天分の
各種の要素がそのうちに包含された楽曲である。

2曲の作曲の間には、5年の経過があるが、
そのときはジョルジュ・サンドとの恋愛中で、
どちらも彼女のノアンの自宅で作られた。

第3番を作曲したのは、1844年の夏で、
翌年、ペルトゥイ伯爵夫人に献呈された。
         
       第1楽章 Allegro maestoso
       第2楽章 Scherzo: Molto vivace
       第3楽章 Largo
       第4楽章 Finare: Presto, non tanto




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