[PREV] [NEXT]
...... 2022年12月22日 の日記 ......
■ 《 運命 》   [ NO. 2022122201-1 ] sy

【 交響曲 第5番 ハ短調 Op. 67 】
       
ベートーベン,ルードヴィヒ・ヴァン 〔独〕
(1770.12.16〜1827.03.26) 56歳
       

        
「運命はかく扉をたたく・・・」
第1楽章の冒頭の動機を、ベートーベン自身が弟子の
シントラーに説明したと伝えられて以来、この交響曲
そのものが「運命」という劇的な題で呼ばれるようになった。

1807年の末か翌8年の初めに完成した
「交響曲第5番」は、その有名さ、演奏される回数の多さ、
最も愛され親しまれているその人気において、古今数多い
交響曲のなかで、最高のもののひとつと言われている。

たくましく、激しい第1楽章、激しい緊張の後の平和な
感情が流れている第2楽章、神秘的な気分と
暗たんとした気分の第3楽章、雄渾かつ華麗で、まさに
運命を乗り越えた者の勝利の讃歌は第4楽章で
力強く熱狂的に結ばれる。

ベートーベンの魂の記録ともいえる、苦悩(暗黒)を
通じての歓喜(光明)、人間の喜怒哀楽の感情を
これほど虚飾なく、率直にかつ鮮明に
打ち出した音楽は珍しい。

シューマンは「いくら聴いても、あたかも自然の現象の
ように畏敬と驚嘆とが新たになる。この交響曲は、
世界の音楽が続く限り、幾世紀も残るだろう」と述べている。

1805年から翌年にかけて、ベートーベンは
タイム伯爵の未亡人ヨゼフィーネと恋愛をしている。
第5交響曲のような激しい音楽を書く気分ではなかったのか、
完成が1808年までのばされ、この間は恋愛感情を
反映するかのように、明るく和やかな作品を書いている。

娘時代にベートーベンのピアノの弟子であった
ヨゼフィーネは、美貌で、チャーミングな令嬢だった。
20歳のときに、47歳のタイム伯爵と結婚をしたが、
1804年に未亡人となり、1810年に3人の
子どもを連れて、シュタッケルベルク男爵と
再婚した人である。

ヨゼフィーネが未亡人になってから、ベートーベンが
彼女に宛てた手紙が13通残されているが、積極的な
ベートーベンの要求に、彼女は応えられなかったようだ。
その後ヨゼフィーネの姉のテレーゼと婚約をしたが、
1810年には婚約が破れてしまった。

「忍従せよ、お前は自己のために存在することは
許されないのだ。ただ、他人のために生きるのだ。
お前のために残された幸福は、ただ、お前の芸術の
仕事の中にあるのみだ。おお神様!
私が自分を克服できる力をお与えください」
と、ベートーベンは自分をいたわり励ますように、
生きる道を心から求めている。

第5番「運命」と第6番「田園」は、1808年12月22日に
ウィーンのアン・デル・ウィーン劇場で、ベートーベンの
作品だけの発表会において、彼自身の指揮で初演された。

        第1楽章 Allegro con brio 
        第2楽章 Andante con moto
        第3楽章 Scherzo: Allegro 
        第4楽章 Allegro - Presto 



(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) ヘルベルト・フォン・カラヤン   
            ♪ 私が聴いた音源 ♪


【 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68「田園」】は、12/23に掲載




...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: