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...... 2022年12月16日 の日記 ......
■ 《 マジャール民謡 》   [ NO. 2022121601-1 ] or

【 変奏曲「くじゃくは飛んだ」】
     
コダーイ,ゾルターン 〔洪〕
(1882.12.16〜1967.03.06) 84歳
    

     
1歳年上のバルトークと共に、近代ハンガリー音楽を
築いたコダーイは、140年前の12月16日に
ケチュケメートで生まれた。
父は鉄道官吏だったため、一家はハンガリー国内を、
転々と移り住んだ。

両親とも音楽好きで、父はヴァイオリンを、
母はピアノを弾いたので、コダーイは幼い頃から
ハイドンやモーツァルトの室内楽を耳にして育った。

コダーイの生涯は、作曲とマジャール(ハンガリー)
民謡の研究、その民謡に基ずく国民的な音楽教育の
3つの大きな分野に捧げられた。

晩年は、国際音楽教育(ISME)の会長としても
活躍したが、ブダペストで84年の生涯を閉じた。

コダーイは尊敬してやまなかった40歳年上で
作曲家のエンマと若くして結婚した。
夫人が亡くなった後、若くて美しいシャロンタと
結婚したが、彼女はコダーイとエンマ夫婦の養女で、
40歳年下だった。

エンマ夫人が亡くなった後、コダーイの
莫大な遺産を相続する者がいなかったことが
再婚の理由とされている。
当時の社会主義のハンガリーでは、養女の
シャロンタには相続されず、全て政府に
没収されることになっていた。

二人は、婚姻届けを出したものの、実際には
父と養女の関係でシャロンタは献身的に
コダーイにつくしたといわれている。

「くじゃくは飛んだ」は、ハンガリー民謡による管弦楽の
変奏曲で、彼のハンガリー民謡に対する深い愛情と、
華麗な管弦楽法の大家としての手腕とが結びついた、
充実した代表作である。

わずか8小節の単純な反復をもった5音音階の
古い民謡をもとに、16の多彩な変奏曲と
フィナーレから出来ている。

この曲はアムステルダムのオーケストラ
「コンツェルト・ヘボウ」の50周年記念に委嘱されて
作曲した作品だが、1939年は大戦前夜の
緊張した状況だった。

かつてトルコの権力的な支配下に、鎖なき
囚人となったマジャール人の、自由に対する情熱を
歌ったこの民謡に託して、コダーイは反ファシズムの
自由と人間性を守る立場に立った。



くじゃくは飛んだ

飛べよ くじゃく 牢獄のうえに
あわれな囚人たちを 解放するために

くじゃくは飛んだ 牢獄のうえに
だが 囚人たちは 解放されなかった

くじゃくは飛んだ 牢獄のうえに
あわれな囚人たちを 解放するために



(管弦楽)ロンドンフィルハーモニー管弦楽団
(指揮) フランツ・ウェルザー・メスト  
           ♪ 私が聴いた音源 ♪





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