[PREV] [NEXT]
...... 2022年12月01日 の日記 ......
■ 《 最高傑作 》   [ NO. 2022120101-1 ] co


【 管弦楽のための協奏曲 】

バルトーク,ベーラ 〔ハンガリー〕
(1881.03.25〜1945.09.26) 64歳 白血病



ピアニスト、作曲家のバルトークは、初めはブラームス、
リスト、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスの音楽の
影響を受けた出発だったが、1905年の24歳のときに、
コンクールなどでパリに長期滞在したため、
ドビュッシーやラヴェルの音楽を知り
更に大きな影響を受けている。

翌年の1906年からは、コダーイと共に
ハンガリー民謡の採集に出かけるなど、
独自の様式を確立した作曲家となった。

バルトークは、晩年の1940年59歳のときに、
火を避けてハンガリーからアメリカに亡命した。
しかし、バルトークの運命は悲劇的だった。
彼の作品は理解されず、持病の白血病が悪化し、
体重の激減、絶え間ない発熱に悩まされ、
辛い日々を送っていたときに救いの手を
差しのべたのが、クーセヴィツキーだった。

彼は現代アメリカ音楽の積極的な紹介につとめ、
40年にはバークリー音楽センターを設立して、
後進の育成をはかり、アメリカ楽界に大きく貢献した。

1944年がクーセヴィツキーの70歳を迎える
年であったことと、ボストン交響楽団の指揮者就任
20周年にあたっていたことから、ロシア出身の
アメリカの指揮者、作曲家、コントラバス奏者の
クーセヴィツキーが財団を通じて、バルトークに
大金を出してオーケストラ作品を依頼した。

バルトークは久しく失われていた創作意欲を蘇らせ、
晩年の代表作であり、最高傑作のひとつに数えられる
「管弦楽のための協奏曲」を完成させた。

5つの楽章からなる管弦楽曲だが、協奏曲という
名が与えられていて、各楽章にはバルトークによる
タイトルがつけられている。

   第1楽章 Andante non troppo -Allegro vivace(序章)
   第2楽章 Allegretto scherzando (対の遊び) 
   第3楽章 Andante non troppo (悲歌)
   第4楽章 Allegretto (中断された間奏曲)
   第5楽章 Finare: Pesante - Presto (終曲)

1944年12月1日にクーセヴィツキーの
指揮、ボストン交響楽団によりニューヨークの
カーネギーホールで初演し大成功だった。



(管弦楽)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) グラディーミル・バーレフ    
          ♪ 私が聴いた音源 ♪




...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: