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...... 2022年11月20日 の日記 ......
■ 《 ペシミスト 》   [ NO. 2022112001-1 ] sy

【 交響曲「大地の歌」】
       
マーラー,グスターフ 〔墺〕
(1860.07.07〜1911.05.18) 51歳 心臓病
     

    
音楽史上マーラーは、R・シュトラウスと共に
後期ロマン派の最後の大作曲家といわれ、
作風としてはブルックナーとともに、きわめて強く
ワーグナーの影響を受けているといわれている。

1908年に狭心症の発作におそわれたマーラーは、
生来の憂鬱症をいっそう高じさせ、死を恐れ、
絶望感にさいなまれ続けた晩年だった。
そんなときに友人から見せられた漢詩「シナの笛」の
独訳が、「大地の歌」を書く直接の動機となった。

この詩集から7つの詩を選び、それをある程度
自由に取り扱って楽想をわきたたせて、
独唱者2名とオーケストラからなる
6楽章の交響曲を作り上げた。

第1楽章 「地上の悲愁を詠える酒席のうた」
第2楽章 「秋に独りいて寂しきもの」   
第3楽章 「青春にふれて」        
第4楽章 「美しさについて」       
第5楽章 「春にありて酔えるもの」    
第6楽章 「告別」            

この作品は、もともと第9番の交響曲に
なるべきものなのだが、ベートーヴェンや
シューベルト、ブルックナーといった作曲家たちが、
第9番を作曲して死んだことにこだわって、
番号をつけずに「大地の歌」とした。

マーラーが42歳のときに結婚した、マーラーの夫人
アルマは下記のように書いている。
「ベートーヴェンもブルックナーも「第10番」を
作れなかったことから、「第9番」の番号を恐れた
マーラーは、それを避けようとした。
最初、彼は「大地の歌」を「第9番」として
書いたのだが、後でその番号を消してしまった。
その後、「第9番」と呼ばれる交響曲に
取りかかっているとき、私にこう言った。
これは本当は「第10番」なのだ。
「大地の歌」が実際には第9番だからな」
そして最後に「第10番」を書いているときにこう言
った。「やれやれ危機は去ったぞ」と・・・

しかし、彼は「大地の歌」の初演を聴くこともなく、
「第10番」を完成させることも出来ず、
48歳の5月18日にウィーンで世を去った。

遺志により、葬儀の時は追悼文も読まれず、
音楽も奏されなかった。
マーラーは2人の娘をもうけたが、次女は生まれて
間もなく死亡し、長女は5歳の夏に亡くなっていた。
遺骸はヴィーン郊外の愛娘の墓の隣に
埋葬されたのだった。

「大地の歌」の初演はマーラーが世を去って
半年後の1911年11月20日にミュンヘンで、
マーラーの弟子であったブルーノ・ワルターの
指揮により行われた。



(メゾ・ソプラノ)イリス・ヴェルミリオン
(テノール) キース・ルイス      
(管弦楽)  ドリスデン国立管弦楽団  
(指揮)   ジョゼッペ・シノーポリ  
         ♪ 私が聴いた音源 ♪




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