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...... 2022年10月29日 の日記 ......
■ 《 赤い鳥曲譜集 》   [ NO. 2022102901-1 ] v

【 童謡「かなりや」】
            
成田 為三 〔日〕
(1893.12.15〜1945.10.29) 51歳 脳溢血
               

           
秋田県出身の成田為三は、明治26年に生まれた。
1年間小学校で教鞭を執ったが、大正3年に
東京音楽学校に入学し、ドイツから帰国した
山田耕筰に師事した。

卒業後は佐賀師範学校で教えたが、作曲活動を
するために東京に戻った、

大正11年にドイツに留学し、4年後に帰国した。
その後は、教育者として活躍したが、
昭和19年に空襲で被災し、秋田に疎開した。

翌年、上京したが、その翌日の10月29日に
脳溢血で生涯を閉じた。
葬儀では、教え子たちによって「浜辺の歌」が
捧げられた。

「金糸雀(かなりや)」は、『赤い鳥』を主宰した
鈴木三重吉が童謡運動として世に送った
第一作だった。

大正8年(1919年)に、その2年前に刊行していた
『赤い鳥』の別冊『赤い鳥曲譜集その一』に
収録され、翌年に帝劇で催された『赤い鳥音楽会』で、
少女たちによって歌われ、評判となった。

無名の一青年だった西條八十に、鈴木三重吉が
直接依頼し作詞されたが、彼にとっても
最初の成功作となった。

歌詞は4番まであり、1、2、3番は4/2拍子だが、
最後の4番は3/8拍子で違うメロディをつけている。



金糸雀(かなりや)

唄を忘れた金糸雀(かなりや)は
うしろの山に棄てましょか
いえ、いえ、それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は
背戸の小薮に埋めましょか
いえ、いえ、それはなりませぬ

唄を忘れた金糸雀は
柳の鞭でぶちましょか
いえ、いえ、それはかわいそう

唄を忘れた金糸雀は
象牙の船に、銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた歌を想いだす

西條八十作詞・成田為三作曲




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