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...... 2022年10月30日 の日記 ......
■ 《 ハイドン風 》   [ NO. 2022103001-1 ] ch

【 弦楽四重奏曲 第3番 変ロ長調 Op. 67 】
     
ブラームス,ヨハネス 〔ドイツ〕
(1833.05.07〜1897.04.03) 63歳 肝臓病
        

           
ブラームスは、40歳にいたるまで
弦楽四重奏曲を発表しなかった。
最初の曲を発表する前に、約20曲の
弦楽四重奏曲を書いたが満足できるものがなくて、
楽譜を破り捨てたといわれている。

その理由は、第1交響曲を43歳まで
書かなかった時の心境と同じく、偉大な
ベートーベンの残した同種の作品に対する
畏敬の念と怖れもあって、彼の四重奏曲に
太刀打ちできる同種の曲を書けぬという
良心的で慎重な態度からのようである。

しかし、第1番を書いてからは3年の間に3曲も
同種の曲を出し、それ以後は弦楽四重奏曲を
作り上げなかった。

ベートーベン的な「第1番 ハ短調 作品51-1」
バッハ的な「第2番 イ短調 作品51-2 」
「第3番変ロ長調」は、後期のベートーベンを
想わせるような入念さで、ハイドン風の
快活さももっている。

モーツァルトの「狩猟四重奏曲」の
冒頭にも似ている第1楽章の第1主題。 
瞑想的で、牧歌的な趣の第2楽章。
全曲の中で最も愛らしく、最も柔和な第3楽章
民謡風な主題と8つの変奏からなる第4楽章。

       第1楽章 vivace
       第2楽章 Andante
       第3楽章 Agitato(Allegretto non troppo)
       第4楽章 Poco Allegretto con Variazioni

この曲の公開の初演は、書かれてから21年後の
10月30日にヨアヒム四重奏団によって行なわれたが、
私的な初演は、その少し前にベルリンの
クララのもとで同じ四重奏団によって行なわれた。

「ブラームスの新しい弦楽四重奏曲をヨアヒムが
演奏してくれた。非常に驚くべき曲だ。
ヨアヒムはこれをひそかに持ってきたのだった」

これは、シューマンの妻クララの日記に書かれた
もので、シューマンが世を去って39年後のことだ。

翌年の5月には、クララが脳卒中で倒れ、
77歳で世を去っている。
さらにその翌年にはブラームスも63年の生涯を
終えることになるのだが・・・

ブラームスより2歳年上のヨアヒムは、
十九世紀後半のドイツ最大のヴァイオリニストで、
69年に組織したヨアヒム弦楽四重奏団は、
古典時代の作品の演奏に優れ、次代のドイツの
ヴァイオリニストに多大な影響を与えている。



(演奏)タカーチ四重奏団
   ♪ 私が聴いた音源 ♪




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