【 ハイドンの名による悲劇的前奏曲 】 デュカス,ポール 〔仏〕 (1865.10.01〜1935.05.17) 69歳
デュカスは157年前の10月1日パリで生まれた。 14歳から音楽を独学で始め、17歳でパリ音楽院に 入学し、卒業後は同音楽院とエコール・ノルマンの 両校で教鞭をとりつつ、作曲活動をおこなった。
常に完璧な作品を目指していたデュカスは、 極度に厳しい自己批評のために、作品の完成に 長時間を要し、多くの曲が未完成、未発表に 終わっている。
管弦楽、室内楽、ピアノ曲、声楽曲わずか13曲の 作品が出版、演奏されたに過ぎない。
1902年から1917年にかけて、新聞や雑誌に 評論を発表していたが、この間はベートーベン、 スカルラッティ、サン=サーンスらの作品の編曲、 ピアノ連弾曲への編曲をしている。
「ハイドンの名による悲劇的前奏曲」は ハイドンの没後100年にあたる1909年に ハイドンを特集する、ある音楽雑誌の 依頼により作曲された。
HAYDNの名前の綴りに含まれる、 5つの文字のうち、音名に使われる3つの文字 H・A・Dが表す音のシ・ラ・レを巧みに用いて 作られた瞑想的な気分の作品である。
(ピアノ)ジャン・ユボー ♪ 私が聴いた音源 ♪
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