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...... 2022年09月26日 の日記 ......
■ 《 病の中で 》   [ NO. 2022092601-1 ] co

【 ピアノ協奏曲 第3番 】
    
バルトーク,ベーラ 〔ハンガリー〕
(1881.03.25〜1945.09.26) 64歳 白血病
        

         
ヨーロッパにとって1939年は最も暗い年で、
ナチス・ドイツは3月にチェコに侵入、9月には
ポーランドに進撃し、第二次世界大戦へと続いていった。

バルトークは、すでに最愛の祖国のくるべき
運命を予測し、ヨーロッパを離れる決心をした。
1940年10月にファシズムの嵐を避けて
ニューヨークへ亡命したが、彼の音楽は
理解されず、恵まれない生活を送ることとなった。

渡米後のバルトークの作品は    
「オーケストラのコンチェルト」  
「無伴奏バイオリン・ソナタ」   
「ピアノ協奏曲第3番」      
「ビオラ協奏曲」の4曲だけだった。

彼は亡命5年後の9月26日の未明に、
「ピアノ協奏曲第3番」の第3楽章の最後の
17小節、スコアで約2ページ足らずを残して、
白血病で世を去ったのである。

曲に終止符を打つよりわずかに早く、死が
彼の生命に終止符を打ってしまった。
この曲は略記号の指示があったので、後に
弟子のシェルリーがそれに従い完成させ、
オーケストレーションをした。

バルトークの白鳥の歌となった未完成の
「ビオラ協奏曲」を、完成させたのも、
シェルリーだった。

「ピアノ協奏曲第3番」は、完成の翌年に
ジョルジュ・シャーンドルのピアノと
ユージン・オルマンディーの指揮する二人の
ハンガリー人のコンビとフィラデルフィア
管弦楽団により初演された。

この曲は、楽想や和声が温和で、形式も
モーツァルトを想わせるほど、簡潔平明で長さも
23分と長くはない。
第2楽章のレリジオーソ(宗教的に)は、ベートーベンの
弦楽四重奏曲作品132の第3楽章を想わせる。

ベートーベンは、重い腸疾患から快復した感謝の
気持ちを「快癒に際して神への聖なる感謝の歌、
リディア調にて」と題したが、バルトークは大戦によって
失われた全てのものと、やがて失われるであろう
自らの生命への讃歌を同じ形式でうたっている。

         第1楽章 Allegretto
         第2楽章 Adagio religioso
         第3楽章 Allegro vivace



(ピアノ)ゾルターン・コチシュ 
(管弦楽)ブダペスト祝祭管弦楽団
(指揮) イヴァン・フィッシャー
      ♪ 私が聴いた音源 ♪




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