【 弦楽セレナード ホ長調 Op. 22 B..52 】 ドヴォルザーク,アントニン 〔チェコ〕 (1841.09.08〜1904.05.01) 62歳 脳溢血
ドヴォルザークは、181年前の9月8日に ボヘミアのプラハ近郊のネラホゼヴェス村で、 肉屋兼業の旅館の長男として生まれた。 その村は、スメタナの交響詩でよく知られる モルダウ川の岸辺にある平和な美しい村だった。
幼年時代から音楽の才能をあらわしていたが、 父親は息子に家業を継がせようとし、16歳のとき しばらくの間家業に精をだしたものの、その間も 音楽の勉強は続けていて、結局父親がおれて プラハ音楽院で学ぶことになった。 モーツァルトが天才型だとすれば、 ドヴォルザークは努力型だった。
24歳のとき、ピアノを教えていた金細工師の娘の ヨセフィーナと愛し合ったが、彼女は伯爵に 嫁いでいってしまい、8年後にアルト歌手だった 彼女の妹のアンナと結婚した。
二年間に最初の子どもを3人失うという 悲しい出来事があったが、その後子どもにも恵まれ、 良き夫、良き父として幸せな家庭を築いた。
62年の生涯だったが、晩年はオーストリア政府より 終身上院議員の栄誉を受け、プラハ音楽院の 院長にも就任していた。
ドヴォルザークは2曲のセレナードを作曲している。 1875年に作曲した「セレナード ホ長調」は、 弦楽合奏のため「弦楽セレナード」と呼ばれ、 3年後の1878年に作曲した「セレナード ニ短調」は 管楽器主体の楽器編成のため 「管楽セレナード」と呼ばる。
「弦楽セレナードホ長調」は、弦だけのしっとりと 落ち着いた、柔らかな響きの曲で、恋をした者が 愛しい人に寄せる思いをムード豊かに 歌い上げたような、歌曲を思わせる作品である。
第1楽章 Moderato 第2楽章 Tempo di valse 第3楽章 Scherzo: vivace 第4楽章 Larghetto 第5楽章 Finale: Allegro vivace
(管弦楽)アカデミー室内管弦楽団 (指揮) ネヴィル・マイナー ♪ 私が聴いた音源 ♪
|
|