【 弦楽四重奏曲 第13番 ト長調 作品106 B.192 】 ドヴォルザーク,アントニン 〔チェコ〕 (1841.09.08〜1904.05.01) 62歳 腎臓病→脳溢血
1895年はドヴォルザークにとって、波瀾万丈の年だった。 家族と共にアメリカからボヘミアに帰還を果たした年で、 義姉が亡くなった年でもあった。
1893年の夏、故郷からの移民団のいる アイオワ州のスピルヴィルに出かけて、 ボヘミアにいるような気持で毎日を過ごしながら 作曲したのが、弦楽四重奏曲「アメリカ」だが、 その少し前に交響曲「新世界」を作曲している。
郷愁にかられ、1895年には帰国してプラハ音楽院の 教授となり、教育者として大きな業績を残した。
弦楽四重奏曲は13曲以上作曲しているが、 なかでも最もよく演奏され、有名なのが 第12番「アメリカ」で、曲の中に黒人霊歌の旋律に 似たものを使っているため、もとは「ニガー」 (アメリカ黒人)と俗称されていた。
ドヴォルザークの作品には、作品番号のないものや、 作曲順になってないものもあって、後にB番号 (ブルグハウザ=の整理番号)がつけられた。
1895年アメリカから帰国し、約半年の休養を経て 書かれた作品で、この年の終わりに完成した。
翌年の10月9日、プラハでチェコ弦楽四重奏団により 初演された。
第1楽章 Allegro moderato 第2楽章 Adagio, ma non troppo 第3楽章 molto vivace 第4楽章 Andante sostenuto - Allegro con fuoco
(演奏) ハーゲン弦楽四重奏団 ♪ 私が聴いた音源 ♪
【 弦楽四重奏曲 第14番 変イ長調 Op. 105,B. 193 】
自らヴァイオリンやヴィオラを演奏したドヴォルザークは 室内楽の分野に30を越える作品を残している。
1895年アメリカから帰国し、約半年の休養を経て 書かれた作品で、この年の終わりに完成した。 第14番は第13番より先に着手されたが完成は 後になってしまった。
ドヴォルザークが書き上げた最後の室内楽で、 この分野の総仕上げともいえる作品で、 13番同様祖国への愛情が凝縮された作品である。
曲が完成したとき、ドヴォルザークは54歳、 それから63歳でこの世を去るまで、交響曲や 室内楽の世界を離れ、物語性をもった交響詩やオペラに 勢力を集中させた。
第1楽章 Adagio ma non troppo - Allegro appassionato 第2楽章 Molto Vivace 第3楽章 Lento e molto cantabile 第4楽章 Allegro, non tanto
(演奏) ハーゲン弦楽四重奏団 ♪ 私が聴いた音源 ♪
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