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...... 2022年08月30日 の日記 ......
■ 《 雄大なソナタ 》   [ NO. 2022083001-1 ] s

【 ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 Op. 58 】
      
ショパン,フレデリック・フランソア 〔ポーランド〕
(1810.03.01〜1849.10.17) 39歳 結核
           

               
ショパンは、ピアノ・ソナタを3曲作曲している。
第1番は18歳のころ、作曲練習用に書いたもので
陽の目をみたのは、死の2年後のことだった。
今日では、滅多に演奏されることはない。

ピアノ・ソナタ第1番 ハ短調 作品4 (1828年)
ピアノ・ソナタ第2番 ロ短調 作品35(1839年)
ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58(1844年)

第2番と第3番は、ショパンの最円熟期のもので、
彼の全作品中傑作とされている。
第3番は、第2番よりも有機的な統一が認められ、
全体として規模が雄大となり、ショパンの天分の
各種の要素がそのうちに包含された楽曲である。

2曲の作曲の間には、5年の経過があるが、
そのときはジョルジュ・サンドとの恋愛中で、
どちらも彼女のノアンの自宅で作られた。

第3番を作曲したのは、1844年の夏で、
翌年、E・ドゥ・ペルトゥイ伯爵夫人に献呈された。

作曲した年の暮れに、シューマンがショパンを
大絶賛した評論文がライプツィヒの
ある新聞に掲載された。
「諸君、帽子を取りたまえ、天才が現れた」
という言葉で知られるこの記事は、実は
シューマンの評論が初めてジャーナリズムに
取り上げられたものだった。

シューマンがパリのショパンにこの記事を送ると
ショパンはあまりの大絶賛に困惑し、苦笑したほど
だったが、これが縁で二人は知り合うこととなった。

そして4年程後にショパンはパリで知り合った
メンデルスゾーンの紹介でライプツィヒに住む
シューマンを訪ね、二人は初めて出会った。

ショパンとシューマンの性格はかなり違ったが、
お互いの才能を認め合った二人だった。

シューマンはその後も批評家として、ショパンの
作品を度々取り上げ、ショパンの音楽を世に
知らせることに一役かった。

        第1楽章 Allegro maestoso
        第2楽章 Scherzo: Molto vivace
        第3楽章 Largo
        第4楽章 Finare: Presto non tanto



(ピアノ)マリア・ジョアン・ピレシュ
       ♪ 私が聴いた音源 ♪
  



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