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...... 2022年08月28日 の日記 ......
■ 《 交響的幻想曲 》   [ NO. 2022082801-1 ] sy

【 交響曲 第6番 交響的幻想曲 H. 343 】
           
マルティヌー,ボフスラフ 〔チェコ〕
(1890.12.08〜1959.08.28) 68歳 胃癌
       

            
スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェク以後における、
チェコが生んだ最大の作曲家の1人の
マルティヌーは、生まれたのはチェコだったが、
一生のほとんどを外国で過ごしている。

27歳でチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の
バイオリン奏者をつとめ、29歳のときに
カンタータ「チェコ狂想曲」でスメタナ賞を受し、
作曲家としてデビューした。

33歳になってパリに行き、ルーセルから作曲を学んだ。
第二次世界大戦を契機にナチスを避けて、1941年に
アメリカへ渡り、市民権を取得して、交響曲などの
作曲に取り組んだ。
プリンストン大学の教授もつとめた。

その後アメリカを離れ、ヨーロッパ各地を経て
66歳のときにローマのアメリカアカデミーで教鞭を
執ったが居を構えることはせず、ホテル暮らしをした。

1958年に胃の手術をし、胃癌の末期だとわかり、
翌年の8月28日にスイスバーゼル近郊の病院で
68年の生涯を閉じた。

彼は、速筆、多作家で作風は全体として新古典主義的
であるが、個々の作品にはチェコスロバキアの民族性、
印象主義、ジャズの影響が多様な現れ方をしている。

主要作品は、オペラ、バレエ音楽、交響曲、管弦楽曲、
協奏曲、ピアノ曲、合唱曲など多くの作品を残している。

1953年にボストン交響楽団は創立75周年を3年後に
控え、ブリテン、ミヨー、ペトラッシ、ヴィラローボス、
コープランドらと共にマルティーヌにも作曲を依頼した。

マルティーヌは1942年以来、交響曲を10年間に
6曲書いている。
毎年1曲のペースで5つの交響曲を作曲し、
その後一時中断していたが「交響曲 第6番」は、
1953年に書き上げた。

第1番から第5番はアメリカ滞在中に書いたが、
第6番はアメリカを去った後に完成している。

1955年1月7日にシャルル・ミンシュ指揮、
ボストン交響楽団によって初演された。

3つの楽章からなるが、第1楽章で独奏チェロが
主題を演奏している。
これは全曲の核をなすもので、ドヴォルザークの
レクイエムのキリエの引用となっている。

第3楽章の冒頭では、ヴァイオリンと木管が
主題を提示している。

         第1楽章 Lento - Allegro
         第2楽章 Poco allegro
         第3楽章 Lento



(管弦楽)チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) ヴァーツラフ・ノイマン     
          ♪ 私が聴いた音源 ♪




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