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...... 2022年08月09日 の日記 ......
■ 《 二人でお茶を 》   [ NO. 2022080901-1 ] or

【 タヒチ・トロット 】
        
ショスタコーヴィチ,ディミトリー 〔ソビエト〕
(1906.09.25〜1975.08.09) 68歳 肺癌
           

     
二十世紀を代表する大作曲家のショスタコーヴィチは、
ハチャトゥリアンより3歳年下、カバレフスキーより
2歳年下で、3人は同じ時代に活躍している。

父は大の音楽愛好家、母はペテルブルク音楽院出身の
ピアニストで、彼は母からピアノの手ほどきを受け、
後にペテルブルク音楽院で学んだ。

卒業作品として発表した「交響曲第1番」で、
一躍天才作曲家として認められた。
「ソヴィエトの生んだ最初の天才」
「現代のモーツァルト」といった賛辞につつまれた。

社会主義リアリズムと自分が想像する音楽との
大きなジレンマに悩み苦しんだ作曲家として
知られている。

共産党の作曲家批判にあい、社会主義リアリズムの
立場をとるようになった時期に作曲した
「交響曲第5番」は屈指の傑作といわれ、
彼の代表作に数えられる。

共産党機関紙から“ブルジョア的”と名指しで
批判されいったん失脚したが、社会主義
リアリズム路線に忠実な古典的傑作の
「交響曲第5番」を作曲した後、カンバックした。 
彼は生涯をソビエトで過ごしている。

最後の作品となった「ヴィオラ・ソナタ」を
完成させたのは亡くなる5日前だった、
その後、体の不調を訴えて入院し、47年前の
8月9日にモスクワで肺癌のため世を去った。

ショスタコーヴィチは、シリアスな作品を書いている
一方で、映画音楽や劇場のための音楽を
好んで書くなど、幅広い趣味の持ち主で、
あらゆるジャンルの曲を作曲している。

22歳の年に、ピアニストになるか作曲家になるか
まだ迷っていたが、当時ショスタコーヴィチは、
ピアニストとしてもその実力が認められていて、
この前の年の1927年には、ショパンコンクールへの
ソ連代表の出場者に選ばれたほどだった。

また作曲家としての実力も、学生時代から
評判で1928年に指揮者のニコライ・マルコが、
若きショスタコーヴィチの腕試しをしようと、
ある課題を与えた。

当時人気だったニューマンスの「二人でお茶を」の
旋律を1時間以内にオーケストレーションすることだった。
マルコは無理だと思っていたが、ショスタコーヴィチは、
軽々と40分ほどで仕上げてしまった。
その曲が「タヒチ・トロット」だった。



(管弦楽)ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
(指揮) リッカルド・シャイー       
           ♪ 私が聴いた音源 ♪





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