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...... 2022年07月09日 の日記 ......
■ 《 4つの噴水 》   [ NO. 2022070901-1 ] or

【 交響詩「ローマの噴水」P.106 】
    
レスピーギ,オットリーノ 〔伊〕
(1879.07.09〜1936.04.18) 57歳 心臓病
         

             
レスピーギは143年前の7月9日、音楽家の父と、
感受性の強い教養豊かな母との間に、
ボローニャで生まれた。

類い稀なるオーケストレーションの名人として
知られているレスピーギの音楽は、師の
リムスキー=コルサコフが鮮やかな水彩画とすれば、
彼は極彩色の油絵に例えられている。

限りなく永遠の都ローマを心から愛し続け、
演奏旅行以外はローマを離れることがなかった。

レスピーギは「古代ローマ帝国の復権」を訴えた
独裁者ムッソリーニの熱心な支持者だったが、
彼の死の翌月、ムッソリーニはエチオピア併合を宣言し、
2年後にはユダヤ人迫害が始まっている。

好んで古い音楽を現代的に生かしたレスピーギは、
34歳のときにローマのサンタ・チェチリア音楽学校の
教授になって以来、同校の図書館で昔の作曲家の
作品を調べるのを楽しみとし、それらの中から
気に入ったものを自分の管弦楽法で
編曲することをしばしば行なっていた。

レスピーギの創作期の頂点に作曲した交響詩の
代表作“ローマ3部作”の「ローマの噴水」
「ローマの松」「ローマの祭」は、古風な旋法を曲に
取り入れ、古代イタリアの栄光を音楽に再現している。

1913年にローマに移住して以来、ローマの風物は
レスピーギの心を強くとらえ、最初に作曲したのが
「ローマの噴水」で、管弦楽作曲家としての
最初の成功作となった。

ローマにある最も美しい4つの噴水のその特徴が、
周囲の風物と最もよく調和している時刻、
あるいは眺める人にとってその美しさが、
最も印象深くでる時刻に注目して受けた感情と
幻想に、表現を与えようとしたと、この曲の
総譜の冒頭に序文が掲げられている。

第1部 夜明けのジュリアの谷の噴水
第2部 朝のトリトンの噴水    
第3部 昼のトレヴィの噴水    
第4部 黄昏のメディチ荘の噴水  



(管弦楽)フィラデルフィア管弦楽団
(指揮) リッカルド・ムーティ  
       ♪ 私が聴いた音源 ♪




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