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...... 2022年06月08日 の日記 ......
■ 《 春の交響曲 》   [ NO. 2022060801-1 ] sy

【 交響曲 第1番 変ロ長調 Op. 38 】
    
シューマン,ローベルト・アレクサンダー〔独〕
(1810.06.08〜1856.07.29) 46歳 肺炎
       

          
ロマン派音楽を代表するシューマンは、212年前の
6月8日にドイツのザクセンのツヴィッカウで生まれた。
父は自らも著述をし、詩の翻訳をしたりして文学に
深い関心を持つ真面目な勤勉家の書籍商だった。

父より2歳年上の母は高い教養をもった外科医の娘で、
感傷的、幻想的、夢想的な性格をもち、シューマンは
両親の性格をいろいろと受けついで成長していった。

両親は、6人の子どもをもうけたが、そのうちの1人は
幼少で死んでしまい、シューマンは末子だった。
姉と兄たちは、シューマンよりかなり早く世を去っている。

16歳のときに父が亡くなり、母の希望で
ライプツィヒ大学に入学し、法律を学んでいたが
音楽家への道に変更し、後に妻となるクララの
父のヴィークに弟子入りした。

シューマンの初期の作品は、ほとんどがピアノ曲
だったが1840年にクララと結婚してからは、
あらゆる分野の作曲を始めた。
第1交響曲を書いた1841年には、
オーケストラの作品ばかり作曲している。

その年、ウィーンを訪問した際にシューベルトの
交響曲第7番を発見し、上演への努力をした。
また、ベートーベンの墓を訪れた時、その墓の上で
ペンを発見し、このペンを用いてシューベルトの
第7番に関する覚書きを書き、更に交響曲第1番の
スコアを書いたという話しが伝えられている。

この曲には「春の交響曲」という名もあり、各楽章に
「春のはじめ」「たそがれ」「楽しい遊び」「春たけなわ」
という副題もつけられていた。

初演は、1841年3月31日にメンデルスゾーンの
指揮により、ライプチヒのゲヴァントハウスで行なわれ、
ザクセン国王フリードリヒ・アウグスト二世に献呈された。

この作品は、シューマンが生まれた50年後に
生まれたマーラーが自分なりに
オーケストレーションし直し編曲している。

冒頭のトランペットとホルンの音を原曲と違う
シのフラットに変えているが、これはシューマンが
元々はその音から始めたいと考えていたものの
当時の楽器では出しにくい音だったため
メンデルスゾーンの助言によって、変更したと
言われている部分で、マーラーはそんな
シューマンの意図をくんだのか、この冒頭の
音を変え。更にその先にも、トランペットの
旋律を書き加えて、第1楽章の助走部分の音に
輝きと厚みを増している。

マーラーの編曲は全体に大きく曲の形が
変わるものではないが、シューマンの原曲よりも
より重厚でふくよかな響きになっている。

   第1楽章 Andante un poco maestoso-Allegro molto vivace
   第2楽章 Larghetto
   第3楽章 Scherzo:Molto vivace  
   第4楽章 Allegro animato e grazioso



(管弦楽)フランス国立管弦楽団
(指揮) クルト・マズア   
     ♪ 私が聴いた音源 ♪

マーラー編曲
(管弦楽)ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
(指揮) リッカルド・シャイー         
          ♪ 私が聴いた音源 ♪




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