 【 大六重奏曲 変ホ長調 】 グリンカ,ミハイル・イヴァノヴィチ 〔露〕 (1804.06.01〜1857.02.15) 52歳
 ロシア国民楽派の祖であると同時に十九世紀の 東ヨーロッパにおける国民主義音楽の先駆的存在で、 ロシア・シンフォニズムの確立者であったグリンカは、 地主の父の息子として、218年前の6月1日に ユモレンスク州で生まれ、少年時代を 生地の村で過ごした。
近くに住んでいた叔父が、農奴で作った小編成の 吹奏楽団をもっていたので、グリンカの家の 催し事のときなどには、この楽団がやってきて、 ロシア民謡を編曲したものなどを演奏した。
少年時代にこうした民謡に親しんだことが、 やがて彼を国民音楽の創造に向かわせた 第一歩であったろうと、後にグリンカは 〈自叙伝〉の中で回想している。
十九世紀前半のロシアでは、貴族はドイツ音楽や イタリア・オペラに夢中になっていたが、 一般民衆のための芸術音楽は、無に等しい存在だった。
自由な考えをもつ貴族出身のグリンカは、 そんな状況をなんとかしようと、ロシア独自の 国民的な音楽文化を築き上げようと努力した。
彼は早くから音楽の勉強をしていたが、 父の意志により、運輸省に勤務したものの 6年後に公職を辞して、音楽の勉強をやり直した。
47歳のときに母親の死にあった グリンカは、 もともと身体の弱かったこともあり、 その後健康がすぐれなかった。
彼は死の前年、教会音楽を研究するために ベルリンに赴いたが、十分に成果をあげないうちに この地で客死した。
グリンカは26歳から4年間にわたり、イタリアなどを 旅しながら研鑽を積んでいて、その旅の途中の 28歳のときに書いたのが「大六重奏曲 変ホ長調」である。
弦楽四重奏(ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ)に ピアノ、コントラバスを加えた編成の作品で、 6つの楽器のために書かれた。
第1楽章 Allegro 第2楽章 Andante 第3楽章 Allegro con spirito

(コントラバス)ゴルベフ・ユーリ (演奏) モスクワ音楽院五重奏団 ♪ 私が聴いた音源 ♪
v |
|