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...... 2022年05月31日 の日記 ......
■ 《 不幸な家庭生活 》   [ NO. 2022053101-1 ] co

【 チェロ協奏曲 ニ長調 Op. 101 】
        
ハイドン,フランツ・ヨーゼフ 〔墺〕
(1732.03.31〜1809.05.31) 77歳 衰弱
        

         
ハイドンは28歳のときにウィーンのかつら師
ケラーの娘テレーゼに恋するが、彼女は
修道院に入ってしまい、テレーゼの姉の
マリア・アンナ・アロイジアと結婚し、家庭を持った。

3歳年上の彼女は家庭的でなく、なによりも
自分の夫が音楽史上まれにみる才能に恵まれた
作曲家であることを、理解することができなかった。

2人の間に子どもはなく、ハイドンが65歳のときに
別居し、妻はリウマチに苦しみながら、
夫に先だって71歳で世を去った。

1809年2月7日、ハイドンは2度目で最後の
遺言状を作製した。
5月10日、ナポレオン軍がハイドン家の近くまで
進攻し、12日にはウィーンが占領された。

ハイドンは家族の幸せを味わうことができず、
213年前の5月26日夕刻、衰弱のため昏睡状態に陥り、
31日午前0時40分、息をひきとった。
6月2日に行なわれた追悼式には、ウィーンの
音楽家たちが、モーツァルトの「レクイエム」を
歌って見送った。

ハイドンの遺骸は、1932年にハイドンの
生誕200年を記念して、ときのエステルハージ侯爵の
当主によって、侯爵家の菩提寺であるベルク教会内に
立派な廟所が作られ、そこの石棺に収納された。
頭骨は、ウィーン楽友協会の博物館に
収められていたので、全遺骸が合体したのは、
1954年になってからだった。

ハイドンはチェロ協奏曲を6〜8曲書いている。
清澄で雅趣をもったこのニ長調は、ハイドンの作では
ないとの説もあったが、おそらくエステルハージ家の
管弦楽団とチェリストのアントン・クラフトのために
1783年に書いたものであろうとされている。

        第1楽章 Allegro moderato
        第2楽章 Adagio
        第3楽章 Rondo : Allegro



(チェロ)エマヌエル・フォイアマン     
(管弦楽)ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) マルコム・サージェント      
         ♪ 私が聴いた音源 ♪





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