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...... 2022年04月23日 の日記 ......
■ 《 唯一のチェロ・ソナタ 》   [ NO. 2022042301-1 ] ch

【 チェロ・ソナタ ハ長調 Op. 119 】
        
プロコフィエフ,セルゲイ 〔ソ〕
(1891.04.23〜1953.03.05) 61歳 脳溢血
         

          
プロコフィエフは131年前の4月23日に
ロシア帝国領のソンツォフカ村の領地管理人を
していた父と、ピアノの上手な母との間に生まれ、
幼児からピアノに親しみ、5歳のときに
「インドふうガロップ」というピアノ曲を作曲した。

プロコフィエフは、帝政末期のペテルブルグ音楽院を
優秀な成績で卒業し、有能なピアニスト、
作曲家としての地位をきずきつつあった。

彼はソヴィエト革命が起った1917年の夏、
ペテルブルグ近郊の田舎でたった一人で暮らしていた。
このころ第一次世界大戦はすでに始まっていたが、
父親のいない一人息子のため、召集を免除されていた。

1948年初頭から死去まで5年間の
プロコフィエフの晩年は、ほとんど病床にあった。
ピアノも弾かず、電話にもでず、医師の許可した
1日1時間だけの作曲の日課を守っていた。

そんな中でも、プロコフィエフの創作意欲は衰えず、
十数曲の作品を書いた。
この時期の最初の作品がこの「作品119」で、
彼の唯一の「チェロ・ソナタ」である。

晩年の特徴である、極度の単純さと形式の
古典的連続性のなかに、豊かな旋律による叙述を
組み立ててゆく作風があらわれている。

チェロの温かい歌唱、広い音域にわたる豊かな
色彩と名人的技巧が卓越した表現をえていて、
それにピアノが対話的に書かれている。

彼はこの曲を書いた後、チェロに対する関心が強まり、
数曲を構想したが、全て未完成に終わった。

名チェリストのロストロポーヴィチの協力をえて
作曲したこの「チェロ・ソナタ」は、1949年の
春に完成し、暮にはロストロポーヴィチのチェロ、
リヒテルのピアノで初演された。

その演奏を聴いたミャスコフスキーの日記には
「第一級の驚くべき作品」と書かれていた。

   第1楽章 Andannte grane - Moderato animato -
        Andante grave,come prima - Allegro animato
   第2楽章 Moderato - Andante dolce - Moderato primo
   第3楽章 Allegro, ma non troppo - Andantino -
        ma non troppo



(チェロ)ハンナ・チャン    
(ピアノ)アントニオ・パッパーノ
     ♪ 私が聴いた音源 ♪





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