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...... 2022年04月20日 の日記 ......
■ 《 教育者として 》   [ NO. 2022042001-1 ] co

【 チェロ協奏曲 ハ短調 Op. 66 】
          
ミャスコフスキー,ニコライ 〔露〕
(1881.04.20〜1950.08.08) 69歳
            

            
チャイコフスキーの流れを受け継ぐ一人の
ミャスコフスキーは、父親が軍の技術者だったことから、
141年前の4月20日にワルシャワの北50キロの
ロシア軍の要塞(ノヴォゲオルギイェフスク)で生まれた。

9歳のときに母が亡くなり、ソプラノ歌手の叔母に
育てられ、軍人であった父の希望で、ペテルブルクの
士官学校に行き軍人となったが、音楽への思いは
断ち切れずに、25歳でペテルブルク音楽院に入学し、
リムスキー・コルサコフの薫陶を受けた。

卒業後は音楽を教えていたが、第一次世界大戦が
勃発し、オーストリア戦線で3年間戦ったものの
負傷をしたため、モスクワに配属され40歳のときに
モスクワ音楽院の作曲科教授に就任した。

作曲家としてよりも教育者として知られていて、
69歳で亡くなるまでモスクワ音楽院でハチャトリアンや
カバレフスキーなどの多くの優れた作曲家を育てた。

10歳年下のプロコフィエフとは、音楽院在学中に
親交を結び、お互いの才能を高く評価し、尊敬しあい、
その友情は生涯続いた。

プロコフィエフは「ロシアで重要な作曲家を3人
挙げるとしたら?」との問いに「ストラヴィンスキーと
私、そしてミャスコフスキー」と答えたと言われる。

力強い構成と抒情的な雰囲気が特徴で、
幅広い分野に作品を残しているが、
高度な作曲技法を駆使した27曲の交響曲、
13曲の弦楽四重奏曲、9曲のピアノ・ソナタ、
ヴァイオリン協奏曲などがあるが、ロシア音楽の
伝統の整備と回想をめざし、清楚で美しく
気品のある作品を作曲している。

第二次大戦の末期、1944年から翌年にかけて
作曲した「チェロ協奏曲」は、通常の協奏曲のように
3楽章ではなく2楽章からなり、休みなく演奏され
全体は一貫したおもむきをもっている。

揺らめくような第1楽章は戦争の時代を反映した
悲しみの子守歌ともいわれる。

        第1楽章 Lento ma non troppo
        第2楽章 Allegro vivace



(管弦楽)ロシア・ナショナル管弦楽団
(指揮) ミーシャ・マイスキー   
        ♪ 私が聴いた音源 ♪





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