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...... 2022年04月06日 の日記 ......
■ 《 最後の作品 》   [ NO. 2022040601-1 ] co

【 協奏曲「ダンバートン・オークス」】
       
ストラヴィンスキー,イーゴル 〔露〕
(1882.06.18〜1971.04.06) 88歳
         

          
ストラヴィンスキーは、ペテルブルクの郊外の
オラニェンバウムで、著名なオペラ歌手の父と、
音楽の天分に恵まれていた母との間に生まれた。

家には20万余の蔵書があり、後に作品の素材となる
多くの民間伝承や、オペラのスコアが含まれていた。

9歳のときに両親はピアノの先生につけたが、
楽譜を読むことをたちまち覚え、即興演奏をするように
なったものの、特別の天分は示さなかった。

父の勧めで、大学では法律を勉強したが、学友に
リムスキー・コルサコフの息子がいて、本格的に
作曲家になる決心をした。
しかし、その後も音楽学校には入らず、法律を
勉強しながら、リムスキー・コルサコフから
作曲法や管弦楽法を学んだ。

第一次大戦では、戦火を逃れて母国ロシアを捨て、
スイスに移住した。
さらに終戦後は、演奏の場を求めてフランスへ移り、
そこで、画家のピカソや作家のコクトーとの交流を
深めたが、この時期の作風は革新的なものから、
古典的な手法に変わった。

1938年、長女を結核で失い、翌年には妻と母を
相次いで病で失った。
第二次世界大戦から逃れることもあって、
ハーバード大学の招きで、単身アメリカに渡り移住した。
翌年、画家のヴェラと再婚し、新たな人生を歩き始めた。

二度の大戦で居住地を変えたが、作風も大きく変わり、
自分にとっての新たな音楽を追い続け、そこから
独自のものを作り続けていった。
その探究心は、死の直前まで衰えず、病床でも作曲を続け、
最愛の妻が見守るなか、51年前の4月6日に
ニューヨークで88歳の生涯を閉じた。

木管楽器のための協奏曲「ダンバートン・オークス」は、
芸術に理解のあったブリス夫妻の結婚30周年の
お祝いのために書かれた。

夫妻は、ワシントン郊外に美しく広大な庭園を造り、
「ダンバートン・オークス」 と名付け、そこに住居を
構えていた。
この作品の題名は、その庭園の名からつけられた。

ストラヴィンスキーがヨーロッパ時代に完成させた
最後の作品である。

3楽章からなり、全楽章は連続して演奏される。

         第1楽章 Tempo giusto
         第2楽章 Allegretto
         第3楽章 Con moto



(管弦楽)モントリオール・シンフォニエッタ
(指揮) シャルル・デュトワ       
          ♪ 私が聴いた音源 ♪
  




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