[PREV] [NEXT]
...... 2022年03月27日 の日記 ......
■ 《 唯一のチェロ・ソナタ 》   [ NO. 2022032701-1 ] ch

【 チェロ・ソナタ ハ長調 Op. 119 】
        
プロコフィエフ,セルゲイ〔ソ〕
(1891.04.23〜1953.03.05) 61歳 脳溢血
         
ロストロポ-ヴィチ,ムスティスラフ(ソ)
(1927.03.27〜2007.04.27) 80歳    
         

            
世界的チェリストのロストロポーヴィチは、
旧ソ連アゼルバイジャン共和国のバクーで、
75年前の3月27日に生まれた。

父親の手ほどきでチェロを始め、15歳で公開演奏の
場にデビューし、天才として知られるようになった。
戦後は西側でも活躍を始め、今世紀最高の
チェリストとして、名を馳せている。
41歳のときに指揮者としてもデビューをした。

1970年ごろから、反体制作家のソルジェニーツィンや
物理学者のサハロフを擁護したことで、旧ソ連政府と
対立し、74年に家族共々ソ連を離れた後、
市民権と名誉をはく奪された。
西側での亡命生活は16年間にわたり、
90年に名誉が回復された。

音楽と人間に対して惜しみなく愛情を注ぐ
ロストロポーヴィチは、温かな人柄で世界中の
音楽家からの敬愛を集めていた。

ショスタコーヴィチやプロコフィエフなど、多くの
作曲家が彼のために新作が書き、捧げている。

1948年初頭から死去まで5年間の
プロコフィエフの晩年は、ほとんど病床にあった。
ピアノも弾かず、電話にもでず、医師の許可した
一日1時間だけの作曲の日課を守っていた。

そんな中でも、プロコフィエフの創作意欲は衰えず、
十数曲の作品を書いた。
この時期の最初の作品が、彼の唯一の
「チェロ・ソナタ ハ長調」である。

晩年の特徴である、極度の単純さと形式の古典的
連続性のなかに、豊かな旋律による叙述を
組み立ててゆく作風があらわれている。

チェロの温かい歌唱、広い音域にわたる豊かな
色彩と名人的技巧が卓越した表現をえていて、
それにピアノが対話的に書かれている。

彼はこの曲を書いた後、チェロに対する関心が
強まり数曲を構想したが、全て未完成に終わった。

名チェリストのロストロポーヴィチの協力をえて
作曲したこの「チェロ・ソナタ」は、1949年の春に
完成し、暮にはロストロポーヴィチのチェロ、
リヒテルのピアノで初演された。

その演奏を聴いたミャスコフスキーの日記には
「第一級の驚くべき作品」と書かれていた。

        第1楽章 Andante grave
        第2楽章 Moderato
        第3楽章 Allegro ma non troppo



(チェロ)ハンナ・チャン    
(ピアノ)アントニオ・パッパーノ
     ♪ 私が聴いた音源 ♪




...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: