[PREV] [NEXT]
...... 2022年03月26日 の日記 ......
■ 6楽章構成   [ NO. 2022032601-1 ] ch

【 弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 Op. 130 】
        
ベートーベン,ルードヴィヒ・ヴァン 〔独〕
(1770.12.17〜1827.3.26) 56歳
      

       
ベートベンの晩年は、増々悪化する
耳の病に加えて、心労が多かった。
彼は自分の生活が安定してから、故郷にいる
2人の弟カルルとヨハンをウィーンに呼び寄せて
面倒をみ、世話をした。

カルルの死後、遺書によりそのひとり息子
(同名)の後見人となった。
ところが母親がそれに応じなかったために
裁判ざたになり、勝訴によってカルルを
引き取ったが、彼は素行が悪く、学業も怠り、
ベートーベンの父親らしい愛情は通じず、
死ぬ日まで苦しみ悩まされた。

「伯父が僕を善人にしようとしたために、
僕はかえって悪人になった」カルルは借金のため、
ピストル自殺を企てたが、未遂に終わった」
それは、ベートーベンが亡くなる前年のことだった。

7月の末に自殺未遂事件をおこした甥のカルルを
連れて、弟ヨハンの家に赴き、そこで書き上げた。
心からの愛情を注いだカールのために、希望の
軍隊勤務につくため奔走し、二人は12月の末に
ウィーンに帰ったが、帰途の寒さも影響して、
ベートーベンの健康は悪化していった。

「辛抱しながら考える。一切はなにかしら
よいものを伴ってくる」4度目の手術を待ちながらの
「手記」であるが、よいもの・・・それが苦しいことのみ
多かった生からの解放・・・それは死であった。
1827年3月26日午後5時ごろ、嵐と雷鳴の
荒れ狂うなか、ベートーベンは息を引き取った。

「諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった」
これが最後の言葉であったといわれ、瀕死の
ベートーベンは、虚空をつかむように、病床から
起き上がって拳を握って世を去ったといわれている。

あらゆることを辛抱しながら、考え続けた人間の
最後に相応しい情景であるといえるのだろうか・・・

愛する母には早く死に別れ、生涯をともにする
女性もなく、悩みと病と貧とに苦しまされ、
心からの愛情をそそいだ唯一の身内の甥の愛さえ
得られずに、大きな世の変動と戦いぬいた。

ただひたむきに、人々のためによかれと念じつつ、
心の火を燃やし続け、苦しんで生きることが
幸福であると大きな諦めに達していた。
彼ほどたくましい意志力をもって、世界苦、
人生苦に立ち向かった人類のチャンピオンは
なかったのかもしれない。

1825年11月に完成した「弦楽四重奏曲 第13番」は、
6楽章で構成された異例の弦楽四重奏曲である。

作曲した翌年の3月に初演され、
ニコライ・ガリツィン伯爵に献呈された。

     第1楽章 Adagio ma non troppo - Allegro
     第2楽章 Presto
     第3楽章 Andante con moto, ma non troppo
     第4楽章 Alla danza tedesca: Allegro assai
     第5楽章 Cavatina: Adagio molto espressivo
     第6楽章 Finale: Allegro



【 大フーガ 変ロ長調 Op.133 】

ベートーベンが「大フーガ 変ロ長調」を書いた
1825年から1826年ごろは、完全に聴力を
失っていた。

「大フーガ 変ロ長調」は、「弦楽四重奏曲
第13番 作品130」の終楽章の第6楽章として
1825年に完成し、1826年3月に初演されたが、
大変難解だったため、友人の助言や出版社からの
要請もあり「大フーガ」を切り離し、別に軽快で
小型の第6楽章を書き直した。

切り離された「大フーガ」は、「作品133」として
作品に加えられたが、長い間失敗作とされていた。
しかし、20世紀初頭ごろから評価されるようになった。

録音では「弦楽四重奏曲 第13番」の後に
「大フーガ」が併録されていることが多い。



(演奏)スメタナ弦楽四重奏団
    ♪ 私が聴いた音源 ♪




...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: