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...... 2022年03月21日 の日記 ......
■ 《 諷刺とユーモア 》   [ NO. 2022032101-1 ] v

【 歌曲「蚤の歌」】
         
ムソルグスキー,モデスト・ペトロヴィチ 〔露〕
(1839.03.21〜1881.03.28) 42歳
         

             
ロシア国民学派の五人組(ボロディン、キュイ、
バラキレフ、リムスキー・コルサコフ)の1人の、
ムソルグスキーは、183年前の3月21日に4兄弟の
末子として、古いロシアの貴族の家系に生まれた。

当時のロシア貴族は、一応軍人になるのが常で、
彼も仕官学校で歴史・哲学・文学・宗教などについて、
教養を身につけた。
それと同時にピアノの演奏も上達し、
特に即興演奏が得意だった。

22歳のときに強い神経病にかかっているが、
士官学校時代からの飲酒の習慣で健康を害し、
早逝の原因になったといわれている。
最期は、廃人のようになってペテルブルグで
42年の生涯を閉じた。

「蚤の歌」は、正確には「アウエルバッハの穴倉に
おけるメフィストフェレスの歌」(ゲーテのファウストより)
という曲で、亡くなる2年前の作品である。

ライプチヒのアウエルバッハの酒場に、
ファウストを連れてきた悪魔のメフィストフェレスが、
そこで学生の1人が「鼠の歌」を歌ったのに対して歌う、
ユーモラスな歌である。

アクセントの強いピアノ前奏に続いて、
「むかし王様がいた。蚤が一緒に住んでいた」
「自分の息子よりも可愛がった。仕立て屋を呼んで、
“いいか間抜けめ、親愛なるもののために立派な
ビロードの外套を作るんだぞ”と」。

次に皮肉たっぷりな威厳のある音楽で、
「金とビロードで蚤を飾り、宮殿の中で威張りかえらせた。
王は蚤を大臣にして、勲章まで与え、仲間の蚤も
みな出世した」。

「王妃も女官も我慢できず、いたたまれなくなった」
「しかし、蚤にさわることも、つぶすこともできぬ。
もしおれたちを刺そうものなら、たちどころに
つぶしてしまう」。
随所に入る笑い声の「ハハハ・・・」は原詩にはなく、
ムソルグスキーが挿入したものである。

諷刺とユーモアにあふれ、特に笑いの模倣の部分で
親しまれている歌曲である。




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