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...... 2022年01月27日 の日記 ......
■ 《 祝賀曲 》   [ NO. 2022012701-1 ] sy

【 交響曲 第35番 ニ長調 「ハフナー」K. 385 】
        
モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス〔墺〕
(1756.01.27〜1791.12.05) 35歳 
         

            
モーツァルトは、ザルツブルグの大司教宮廷に仕える
音楽家ヨハン・ゲオルク・レオポルド・モーツァルトと
その妻アンナ・マリアの子ども(3男4女)の
末子として、266年前の1月27日に同地に生まれた。

長く生きたのは5歳年上の姉アンネル(通称)だけで、
ピアニストしてモーツァルトと共に17歳まで
演奏旅行をし、78歳で世を去るまで教育活動をした。

モーツァルトが作曲した交響曲の作品は、
約50曲にのぼるが、「交響曲 第35番」は
1782年にウィーンで生活をするようになってから
書いた6曲の中の最初の交響曲である。

これより前の1776年に、ザルツブルクの
ハフナー家の婚礼のためのセレナードを作曲していた。

ジークムント・ハフナーは裕福な商人でもあり、
当時ザルツブルクの市長をつとめ、
またモーツァルトの父とも親しかった。
その娘エリーザベト・ハフナーの結婚式のために
作曲したのが「ハフナー・セレナード」だった。

モーツァルトは1782年になって、
ジークムント・ハフナーの爵位を得た祝賀曲を、
もう一度ハフナー家のためにつくるように、
父から依頼された。
現在「ハフナー交響曲」と呼ばれているものである。

この頃、他の作曲で多忙であったし、自分の結婚を
父に反対されていて苦労が多く、作曲は捗らなかった。
しかし、出来上がった曲は堂々たる力量感と
動的な性格を持ち、モーツァルトの交響曲中でも
傑作の一つとなった。

「新しいハフナー交響曲は、私をまったく驚嘆させ
ました。私はなんら言うべき言葉を知らぬほどです。
この曲はたしかによい効果をだすに違いない」
と彼自身が書いている。

彼の曲としては珍しく、クラリネットもフルートも
使い、二管編成としたため、響きも際立って豊かで、
祝典風な艶麗さと交響曲的な雄渾さとを
兼ね備えたものとなった。

第1楽章の力強さ、第2楽章ののびのびとした豊かさ、
第3楽章の典雅で整った美しさ、第4楽章の
エネルギッシュな強弱の対照による動的性格など
見事である。

         第1楽章 Allegro con spirito
         第2楽章 Andante
         第3楽章 Menuettto
         第4楽章 Finale: Presto

初演は1783年3月22日、ウィーンで
モーツァルト自身の指揮で行なわれ、当日は
皇帝ヨーゼフ二世も臨席し、大成功をおさめた。



(管弦楽)ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) ヘルベルト・フォン・カラヤン   
           ♪ 私が聴いた音源 ♪




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