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...... 2022年01月16日 の日記 ......
■ 《 初演の指揮者 》   [ NO. 2022011601-1 ] o

【 歌劇「西部の娘」】
         
プッチーニ,ジャコモ〔伊〕
(1858.12.22〜1924.11.29) 65歳
         
トスカニーニ,アルトゥーロ 〔伊〕 脳血栓
(1867.03.25〜1957.01.16) 89歳
       

          
二十世紀最高の指揮者の一人といわれた
トスカニーニ は、生地のパルマ音楽院で、
チェロと作曲を学んだ。

卒業後、リオデジャネイロの歌劇場でチェロを
弾いていたときに、アイーダの上演中聴衆の
ヤジにあって指揮台から下りた指揮者に代わって、
暗譜で見事に指揮をし大成功をおさめた。
これが指揮者としてのデビューとなった。

イタリア各地で活躍した後、アメリカに本拠をおいて
交響曲、オペラと数々の名演を聴かせた。
トスカニーニの演奏スタイルは、楽譜に忠実で
バランスを重視した演奏で「新即物主義」と称された。

65年前の元旦の早朝に脳血栓の発作を起こし、
1月16日にューヨーク市リバーデイルの
自宅で89年の生涯を閉じた。

1910年に、パリでメトロポリタン歌劇場
引っ越し公演が行われたが、12月10日の
公演はプッチーニの「西部の娘」の初演で、
指揮者がトスカニーニだった。

「西部の娘」は、デイヴィット・ベラスコの
舞台劇を基に書かれた全3幕のオペラで、
1907年に着手し、1910年に完成した。

完成までに時間を要したのは、
1908年から1909年にかけて、
「ドーリア・マンフレーディ事件」が
起きたことにもよる。

女中のドーリア・マンフレーディがプーチーニと
不貞関係にあると邪推した妻のエルヴィーラの
激しい糾弾に耐えかね、ドーリアが
服毒自殺を図り、数日後に死亡した。

ドーリアの遺族はエルヴィーラを告発し、
有罪となったが示談が成立して公判停止となる。
その時期のプッチーニの作業は、
完全に停滞してしまった。

3幕からなる「西部の娘」は、1849年から
翌年の1850年にかけての冬、ゴールドラッシュに
沸くカリフォルニアが舞台となっている。

       第1幕 酒場「ポルカ」の中
       第2幕 ミニーの小屋
       第3幕 カリフォルニアの大森林、冬の夜明け前

       ミニー(S)    ー酒場「ポルカ」の女主人
       ディック・ジョンソン(T)ー実は盗賊ラメレス
       ジャック・ランス(B)  ー保安官
__


ー第3幕 やがて来る自由の日ー

(テノール)ルチアーノ・パヴァロッティ     
(管弦楽) ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮)  オリヴィエロ・デ・ファブリティス  
            ♪ 私が聴いた音源 ♪



      

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