 【 バレエ組曲「牝鹿」】 プーランク,フランシス 〔仏〕 (1899.1.7〜1963.1.30) 64歳
 現代フランスの作曲家のプーランクは、 123年前の1月7日にパリで生まれた。 父親が熱心なカトリック教徒だったので、 その宗教心は彼にも受け継がれた。
母親がピアノをたしなんだので、彼も幼少のときから ピアノを弾いていたが、演劇の愛好者だった母方の 叔父から、舞台芸術に対する趣好もうえつけられた。
10歳のときに、パリ市内の洪水のため一家は フォンテンブローに移住したが、ここの楽譜屋で シューベルトの歌曲を知り、熱中した。
後に、第一次大戦の直後に現われて、めざましい 音楽活動を展開したフランスの六人組(ミヨー、 オネゲルオーリック、デュレ、タイユフェール)の 一人として活躍した。
33歳年長のサティーの影響は大きく 「サティーから直接受けた広範囲な影響は、 精神的なものと音楽語法の両面にわたっていた」と、 プーランク自身が述べている。
プーランクは、64歳で世を去ったその年の 11月22日、46歳のアメリカの ケネディ大統領が暗殺された。
彼の作品は、旋律の優雅さ、形式の明快さ、 そして洗練された音感覚が特徴であるが、 「牝鹿」はプーランクの最初のバレエ音楽で、 ディアギレフの依頼によって作曲され、 彼のバレエ団によって初演された。 振付けはニジンスキーが、装置・衣装は マリー・ローランサンだった。
バレエ「牝鹿」には、はっきりした物語りの 展開はなく、若い男女の戯れのスケッチで、 当時のヨーロッパのサロンの雰囲気を 舞踊化したものである。
このバレエ曲の管弦楽編成は、1940年に 行なわれ、全曲から5曲を抜粋して、 演奏会用組曲を編んだ。
1、ロンド 2、アダージェット 3、ラグ・アメリカ 4、アンダンティーノ 5、フィナーレ

(管弦楽)パリ音楽院管弦楽団 (指揮) ジョルジュ・プレートル ♪ 私が聴いた音源 ♪
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