 【 ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 Op. 50 】 メトネル,ニコライ・カルロヴィチ 〔露〕 (1880.01.05〜1951.11.13) 71歳
 メトネルは、142年前の1月5日に ドイツ人の両親のもと、モスクワで生まれた。 モスクワ音楽院で学び、金賞を得て卒業し、 その年にウィーンでルビンシティン賞も獲得した。
その後、ピアニストとしてヨーロッパ各地を 演奏旅行し、帰国後母校で教鞭をとった。 41歳のときに故国を去り、ベルリン、パリ、 最後はロンドンに移住した。 アメリカにも2度訪れている。
晩年は病気がちで、ステージからは引退したが、 64歳のときからインド出身のマハラジャによる 経済的な援助を受けて、最後の録音活動をおこない、 自作自演のレコードを多く残し、 ロンドンで71年の生涯を閉じた。
彼はロシア音楽史上では孤独だった。 決して国民主義の傾向を追わず、古典主義と ロマン主義の伝統に根ざした新しい型の作品を 創造しようと努力した。
メトネルの死の7年後、残された妻のアンナは メトネルの作品全集を出版したいという ソビエト文化省の意向を受け、母国に戻った。 その全集(全12巻)が出版されたのは、 8年くらい後のことだった。
彼の作品はピアノ曲と声楽曲が多いが、3曲の ピアノ協奏曲を作曲していて、ラフマニノフや スクリャービンの流れをくみ、どれも 甘美な雰囲気をもっている。
華やかなピアノの演奏で始まる第2番は 1927年 47歳のときの作品で、パリで完成した。
第1楽章 Toccata Allegro risoluto 第2楽章 Romanza: Andante con moto 第3楽章 Divertimento: Allegro risoluto e molto vivace

(ピアノ)ニコライ・デミジェンコ (管弦楽)BBCスコティッシュ交響楽団 (指揮) イェジー・マクシミウク ♪ 私が聴いた音源 ♪
|
|