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...... 2022年01月03日 の日記 ......
■ 《 プログラムの一曲目 》   [ NO. 2022010301-1 ] or

【 国連行進曲 】

シュトルツ,ロベルト 〔墺〕
(1880.08.25〜1975.06.27) 94歳



オペレッタの代表的な作曲家には、
ヨハン・シュトラウス二世があげられるが、
彼がウィーン・オペレッタの創始者だとすれば、
シュトルツは戦前・戦後にかけて活躍した
最後のオペレッタ作曲家といえる。

彼は作曲家・音楽教師の父とピアニストの母との
間にグラーツで生まれた。
両親から英才教育を受け、その後ウィーンの
音楽院で学び、十代後半から指揮活動を始めた。

19歳の時にヨハン・シュトラウス二世に出会い、
作曲家の道をすすめられ、オペレッタの作曲を
志すようになり、すぐにオペレッタ「学生の悪戯」を作った。

27歳でオペレッタの殿堂、アン・デア・ウィーン劇場の
楽長に就任し、以後12年間にわたって、
シュトラウス二世の「こうもり」など代表的な
ウィーン・オペレッタとともに、自作も上演した。

彼の音楽は国境を超えて愛され、1919年に作曲した
ウィーン小唄「美しの鈴の精よ」は、フランスの
俳優ジャン・ギャバンにも歌われた。
翌年のオペレッタ「幸福への舞踊」は、初演後すぐに
イギリスやアメリカでも上演され、人気を博した。

1940年にナチスの手を逃れてアメリカに渡り、
ハリウッドの映画音楽も手がけるようになり、
1940年の映画『スプリング・パレード』と
44年の『イット・ハップンド・トゥモロウ』では
アカデミー音楽賞にもノミネートされた。

50年ごろにはウィーンに帰り、ベルリンで
94年の生涯を閉じた。

オペレッタは、オペラをより親しみやすくしようと
作られたコミカルな音楽劇で、オペラと違って
セリフが多く、その時代の雰囲気が
より取り入れられている。

「国連行進曲」は、世界で最も注目される
クラシックコンサートの一つの
「ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサート2016」で
一曲目に演奏された。

2016年は国連総会が初めて開催されてから
70年目ということで、指揮者のマリス・ヤンソンスの
強い希望で選曲された。



(管弦楽)ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) マリス・ヤンソンス        
         ♪ 私が聴いた音源 ♪





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