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...... 2021年12月20日 の日記 ......
■ 《 標題つき 》   [ NO. 2021122001-1 ] sy

【 交響曲 第2番 Op. 247 】
       
ミヨー,ダリュス 〔仏〕
(1892.09.04〜1974.06.22) 81歳
         

         
南フランスのプロヴァンスで、裕福な
ユダヤ系の家庭に生まれたミヨーは、
「プロヴァンス出身のユダヤ教を信ずるフランス人」
と自己規定していた。

二十世紀初めのパリで、多調性を主とした
前衛作曲家として売り出し、第一次大戦中は
親しい詩人・外交官のクローデルの秘書として、
1917年にブラジルに赴任し、滞在した。

この強烈な体験がミヨーのラテン気質を目覚めさせ、
ラテン音楽やジャズを現代音楽と結び付ける
彼独特の作曲法を編み出させた。

帰国後「フランス6人組」(オネゲル、オーリック、
デュレ、タイユフェール、プーランク)の
一員として注目された。

映画音楽や放送音楽など作品番号の付いていない
ものを数えれば500曲を越える作品を残している。

ミヨーは、1927年から頃から古典的な格調を
もった大曲を彼の郷里のプロヴァンスで書き始めた。
彼にとって最初の本格的な交響曲で、清新な感覚と
優れた対位法的効果、奇をてらわない円熟した
技法による際立った「交響曲第1番」を完成させた。

その5年後の1944年に 作曲した「交響曲第2番」は、
クーセヴィツキー夫人のナタリーの追悼のために
捧げられるべく、クーセヴィツキー財団から
委嘱されたものである。

1946年12月20日、ミヨー自身の指揮により
ボストン交響楽団によって初演された。

第1番が軽快で、明るい曲調をもっているのに対し、
第2番は、内面的で沈潜した情緒をもっている。
交響曲としては珍しい5楽章で、各楽章に
標題がつけられている。

おおむね平明で、古典的厳格ささえもち、巧妙な
対位法が主となった手法で、かつてみられたような
耳障りな、わざとらしい複調や、不協和音は
できるだけ避けられている。

第1楽章 「平和に」 
第2楽章 「神秘に」 
第3楽章 「悲痛に」 
第4楽章 「平静に」 
第5楽章 「アレルヤ」



(管弦楽)パリ音楽院管弦楽団  
(指揮) ジョルジュ・ツィピーヌ
      ♪ 私が聴いた音源 ♪




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