 【 ヘ調のメロディー Op. 3-1 】
ルビンシティン,アントン・グレゴリエヴィチ 〔露〕 (1830.11.28〜1894.11.20) 64歳

父がポーランド系ユダヤ人、母はドイツ系 ユダヤ人のルビンシティンは、191年前の 11月28日にペサラビアのポドリア地方にある ヴェフボティネツで生まれた。 生後間もなく一家とともにモスクワに移り住んだ。
1894年にペテルブルク近郊のペテルゴフで、 64年の生涯を閉じた。
8歳からピアノを学び、9歳で公開演奏をしている。 10歳のとき、パリで当時29歳のリストに 教えを受け、ショパンにも接している。
十九世紀ロシア最大のピアニストである ルビンシティンは、作曲家、指揮者としても活躍し、 ロシアの交響楽運動の創始者として、ヨーロッパの 音楽的伝統をロシアに移植し、ロシア音楽の 水準を専門的な高さに引き上げ、ロシア音楽の アカデミズムを確立した音楽家として、 その功績は高く評価されている。
1862年にロシア最初の専門的な音楽教育機関の ペテルブルグ音楽院を創設し、院長となった。 1864年に新設のモスクワ音楽院の院長と なったのは、弟のニコライで、 チャイコフスキーとは友人関係だった。
1872年には、名ヴァイオリニストの ヴィエニャフスキーと組んでのアメリカ演奏旅行は、 大盛事として知られている。
「メロディー作品3ー1」は、「二つのメロディー作品3」の 第1番にあたり、「ヘ調の旋律」の訳名で日本でも 親しまれているが、旋律的な器楽小品の形式なので、 「ヘ調のメロディー」が適当だろう。 ピアノピースにも含まれているが、チェロとピアノ用に 編曲されたり管弦楽で演奏されることも多い。

(ピアノ) レスリー・ハワード ♪ 私が聴いた音源 ♪
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