 【 歌劇「セミラーミデ」序曲 】 ロッシーニ,ジョアッキーノ 〔イタリア〕 (1792.02.29~1868.11.13) 76歳
 十八世紀のイタリア・オペラは、 神話や古代の 英雄を題材とし、「正歌劇」(オペラ・セリア)と 呼ばれていた。 それに対し、庶民生活や人情話的な題材を扱ったものを 「喜歌劇」「軽歌劇」(オペラ・ブッファ)と 言っていたが、ロッシーニはオペラ・ブッファ作家として 19世紀前半のイタリアのみならず、 ヨーロッパ全域において歓迎された。
彼の作品は光に満ち、流麗な旋律にあふれ、 人物の描写も生き生きとしていた。
ロッシーニは10代後半からオペラ・ブッファを 作曲し、名声を高め、イタリアの副王の力添えで 兵役を免除されるほどであった。 30歳のときに、ウィーンで彼の作品が上演された機会に 同地を訪れ、ベートーベンにも会っている。
ロッシーニのオペラは50ちかくあるが、 それは1811年ごろから、1830年にいたる 約20年間の仕事だった。 その後は、数曲の宗教曲やカンタータ、 かなりの数の歌曲のほか、2、3のオーケストラ曲、 室内楽曲を含むいくつかの器楽作品などを 随時気のむくままに書きとどめたにすぎなかった。
153年前の11月13日にパリの近くの パシの別荘で世の人の哀惜のうちに永眠した。
最後の歌劇となったのは、歌劇「ウィリアム・テル」 だが、歌劇「セミラーミデ」は、30歳のときに 完成した2幕のオペラセリエである。 パビロンの王妃セミラーミデは夫である王ニーノを、 セミラーミデと王位とを一挙に獲得しようという アツニールと共謀で殺害した。 しかし、ニーノの亡霊はこの2人の恋を許さず、 ついに2人を滅亡に導く。
ロッシーニの作品の中でも、ことに優れた作品として 当時は認められていたが、現在ではあまり上演されず、 大きな規模をもつ序曲だけが取り上げられることが多い。
彼は、後に妻となるスペイン系のソプラノ歌手 イザベラのために、多くの作品を書いた。 「セミラーミデ」を書いた年に結婚したが、 結婚後1年を経たころから二人の関係は思わしくなくて、 15年後に正式に別居した。
53歳のときにイザベラが死亡したので、 翌年に、かねてから知り合っていたオランプと 正式に結婚している。

(管弦楽)アカデミー室内管弦楽団 (指揮) ネヴィル・マリナー ♪ 私が聴いた音源 ♪
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