 【 童謡「赤い鳥小鳥」】 成田 為三 〔日〕 (1893.12.15〜1945.10.29) 51歳 脳溢血 北原白秋 〔日〕 (1885.01.25〜1942.11.02) 57歳
 成田為三は、明治26年に秋田県で生まれた。 1年間小学校で教鞭を執ったが、 大正3年に東京音楽学校に入学し、 ドイツから帰国した山田耕筰に師事した。
卒業後は佐賀師範学校で教えたが、 作曲活動をするために東京に戻った。
大正11年にドイツに留学し、4年後に帰国した。 その後は、教育者として活躍したが、 昭和19年に空襲で被災し、秋田に疎開した。
作詞者の北原白秋は、明治18年に 柳川(福岡県)で生まれた。 詩人、歌人、童謡作家として活躍したが、 50歳を過ぎて糖尿病のため視力が衰え、 薄明の世界に入り、昭和17年11月2日に 57年の生涯を閉じた。
大正7年7月に鈴木三重吉の提唱により 童話童謡雑誌「赤い鳥」が創刊された。
子供たちに良質な童話・童謡を提供しようと いう趣旨だったが、これに当時の(現在も) 著名な作家が集まって始まったのが <赤い鳥運動>だった。
大正ロマン、大正デモクラシーと呼ばれる ころの鷹揚な時代雰囲気の中で生まれた 運動で、小さい子供にも大人の目が向けられ、 童謡もその時代を反映した優れたものが 数多くうまれた。
その児童雑誌「赤い鳥」の中心人物として 筆を揮ったのが北原白秋だった。
7月の創刊号には多くの野口雨情の詩が発表され、 そのときに弘田龍太郎の作曲で「りすりす小栗鼠」、 8月には「雨」が、そして9月には成田為三の 「赤い鳥小鳥」が発表された。
まさに雑誌「赤い鳥」の申し子のような歌で、 あどけない子供の夢をそのまま表現している。

あかいとり ことり なぜなぜあかい あかいみをたべた
しろいとり ことり なぜなぜ しろい しろいみを たべた
あおいとり ことり なぜなぜ あおい あおいみを たべた
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