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...... 2021年11月02日 の日記 ......
■ 《 赤い鳥 》   [ NO. 2021110201-1 ] v

【 童謡「赤い鳥小鳥」】
       
成田 為三 〔日〕
(1893.12.15〜1945.10.29) 51歳 脳溢血
       
北原白秋 〔日〕
(1885.01.25〜1942.11.02) 57歳    
     

        
成田為三は、明治26年に秋田県で生まれた。
1年間小学校で教鞭を執ったが、
大正3年に東京音楽学校に入学し、
ドイツから帰国した山田耕筰に師事した。

卒業後は佐賀師範学校で教えたが、
作曲活動をするために東京に戻った。

大正11年にドイツに留学し、4年後に帰国した。
その後は、教育者として活躍したが、
昭和19年に空襲で被災し、秋田に疎開した。

作詞者の北原白秋は、明治18年に
柳川(福岡県)で生まれた。
詩人、歌人、童謡作家として活躍したが、
50歳を過ぎて糖尿病のため視力が衰え、
薄明の世界に入り、昭和17年11月2日に
57年の生涯を閉じた。

大正7年7月に鈴木三重吉の提唱により
童話童謡雑誌「赤い鳥」が創刊された。

子供たちに良質な童話・童謡を提供しようと
いう趣旨だったが、これに当時の(現在も)
著名な作家が集まって始まったのが
<赤い鳥運動>だった。

大正ロマン、大正デモクラシーと呼ばれる
ころの鷹揚な時代雰囲気の中で生まれた
運動で、小さい子供にも大人の目が向けられ、
童謡もその時代を反映した優れたものが
数多くうまれた。

その児童雑誌「赤い鳥」の中心人物として
筆を揮ったのが北原白秋だった。

7月の創刊号には多くの野口雨情の詩が発表され、
そのときに弘田龍太郎の作曲で「りすりす小栗鼠」、
8月には「雨」が、そして9月には成田為三の
「赤い鳥小鳥」が発表された。

まさに雑誌「赤い鳥」の申し子のような歌で、
あどけない子供の夢をそのまま表現している。



あかいとり ことり
なぜなぜあかい
あかいみをたべた

しろいとり ことり
なぜなぜ しろい
しろいみを たべた

あおいとり ことり
なぜなぜ あおい
あおいみを たべた




     

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