 【 交響曲 第4番 変ロ長調 作品60 】 ベートーベン,ルードヴィヒ・ヴァン 〔独〕 (1770.12.16〜1827.03.26) 56歳 ゲオルグ,ショルティ (洪) (1912.10.21〜1997.09.05) 84歳
 オペラと管弦楽の両方の分野で活躍した 巨匠ショルティは、109年前の10月21日に ハンガリーのブダペストで生まれた。 6歳からピアノ始め、12歳からリスト音楽院で ピアノ、作曲、指揮を学んだ。
1938年に、ブダペスト歌劇場で指揮者として デビューした曲がモーツアルトの「フィガロの結婚」 だったが、その4年後の30歳のときに、 ジュネーブ国際コンクールのピアノ部門で優勝した。
ユダヤ人だったため、第二次世界大戦中は、 ナチの手を逃れてスイスに亡命し、そのままスイスで 暮らしたため、両親や家族とは再会しなかった。
戦後は、ミュンヘン、フランクフルト、ロンドン などの歌劇場で指揮をし、56歳でアメリカに渡ってから 20年以上シカゴ交響楽団の黄金時代を築いた。
60歳のときにイギリスの市民権を得、 「ナイト」の称号を授与された。
死の直前まで「シカゴ交響楽団」を中心に幅広い 指揮活動を続けたが84歳の9月5日、南フランスで 自伝の最終チェックを終えた直後生涯を閉じた。
録音活動も熱心で、4日間にわたって演じられる 大作「ニーベルングの指輪」を全曲録音するという 偉業を達成した。 1980年代には、ベートーベンの交響曲全集を シカゴ交響楽団で録音している。
日本には1963年、ロンドン交響楽団と共に 初来日し、その後もたびたび来日した。
ベートーベンの交響曲第3番「英雄」が完成したのは 34歳、第5番「運命」が完成したのが38歳のときで、 どちらも完成までに時間がかかっているが、 36歳のときにつくられた第4番(標題がない)は 短時間のうちに気軽に作られたようだ。
シューマンは、「英雄」と「運命」の間の第4番を、 「二人の北欧神話の巨人にはさまれた、 ギリシャの乙女」と評したといわれる。
第3番の完成後、全く新しい世界であったオペラの 製作に取りかかり、ピアノ・ソナタや ピアノ協奏曲第4番が作られ、第5番「運命」、 弦楽四重奏曲などにも取りかかっていた。
そして出来上がった第4番は、伝統的な古典形式を 尊重した、明朗で愛らしい性格を持っている。 日常のベートーベンの気持に近いのではないかと 言われている。
第1楽章 Adagio-Allegro vivace 第2楽章 Adagio 第3楽章 Allegro molto e vivace 第4楽章 Allegro ma non troppo

(管弦楽)バイエルン国立管弦楽団 (指揮) カルロス・クライバー ♪ 私が聴いた音源 ♪
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