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...... 2021年10月17日 の日記 ......
■ 《虚弱な体質》   [ NO. 2021101701-1 ] co

【 ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 Op. 11 】
        
ショパン,フレデリック・フランソア〔ポーランド〕
(1810.3.1〜1849.10.17)39歳 結核
        

           
「なよやかな茎の上に青い花をのせた昼顔のようだ。
そのあまりにももろいかすかな花びらは、そっと手に
触れるだけでも、たちまち散ってしまいそうである」
友人のリストが言っている。

虚弱な体質に生まれたショパンの晩年は、
病める日々だった。
最後の年の8月、結核の病状が悪化したが、
看病をしたのはジョルジュ・サンドではなくて、
姉のルドヴィカだった。

ショパンは172年前の10月17日午前2時に、
肺結核と咽頭結核で39年の生涯を閉じた。

マドレーヌ寺院で葬儀、遺骸は10月30日に
ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。
棺の上には、ポーランドの土がまかれ、
心臓は遺言通り、ワルシャワに持ち帰られ、
聖十字架教会内に安置された。

ショパンはピアノ協奏曲を2曲書いた。
「第1番ホ短調」は1830年に作曲したが、
出版されたのは1833年だった。
「第2番ヘ短調」は前年の作曲だが、出版が
1836年だったため、番号が逆になってしまった。

この2曲は、青年時代を過ごした故国ポーランドで
創作したものだが、後年の円熟期の作品にみられる
内容の深さと、作曲技巧の変化や完璧性に乏しく、
後に管弦楽のパートに手を加えられたりもした。

しかし、最初のほうがピアノパートをよりよく生かすため、
元のままで演奏されることが通例になっている。

第1番は、ポーランドを去り、パリに居を移す直前に
作曲されたもので、10月11日にワルシャワで
開催されたショパンの告別演奏会で、
彼自身のピアノソロで初演された。

モーツァルトが確立した古典協奏曲の第1楽章形式を
追う第1楽章、ノクターン風の性格を持った優雅な
音楽の第2楽章、溌剌とした、典雅で高貴なロンドの
第3楽章はモーツァルトの再来を思わせる。

         第1楽章 Allegro maestoso
         第2楽章 Romanze: Larghetto
         第3楽章 Rondo: Vivace



(ピアノ)クリスティアン・ツィマーマン     
(管弦楽)ロサンゼルス・フィルハーモニー管弦楽団
(指揮) カルロ・マリア・ジュリーニ      
          ♪ 私が聴いた音源 ♪




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