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...... 2021年10月06日 の日記 ......
■ 《 若いポーランド 》   [ NO. 2021100601-1 ] sy

【 交響曲 第2番 変ロ長調 】
       
シマノフスキ,カルロ 〔ポーランド〕
(1882.10.6〜1937.3.29) 54歳 肺結核
          

            
近代ポーランド最大の作曲家として知られる
シマノフスキは、139年前の10月6日、
ウクライナで生まれた。

ショパンが亡くなって33年後のことで、
低迷していたポーランド音楽に活を入れ、最終的には
自国の民族様式を確立した。

当時ロシア帝国の支配下にあったポーランドは、
1095年のロシアの革命騒動を機に、
民族独立の運動を開始し、作家や音楽家、物理学者の
キュリー夫人などがこの動きに加担した。

その年に結成された「若いポーランド」は、
保守的な音楽から脱却して、新しい二十世紀的な
ポーランド音楽の創造を目ざしていて、
シマノフスキもメンバーの一人だった。

彼の初期の音楽は、ショパン、スクリャービン、
ブラームス、R・シュトラウスなどの影響がみられるが、
やがてドビュッシーの印象主義を知り、ラヴェルに
傾倒し、その中から個性的な方向を見いだしていった。

多作者ではなく、また大向こうをうならすような
派手な表現の人ではなかったが、ショパンに続いて
ポーランドの民衆の心を作品の上に打ち出した。

シマノフキは交響曲を4曲書いている。

       第1番 ヘ短調 作品15  (1906年)
       第2番 変ロ長調 作品19 (1910年)
       第3番 「夜の歌」作品27 (1914年ー16年)
       第4番(協奏交響曲)作品60(1932年)

交響曲第2番は、28歳のときの初期の作品だが、
R・シュトラウスやワーグナー、スクリャービンの
影響が見られる。

1911年にワルシャワで初演されたが、不評だった。
しかし、その後に行なわれたベルリン、ライプツィヒ、
ウィーンの演奏会では大成功を収め、シマノフスキの
名をヨーロッパ中に知らしめた。

       第1楽章 Allegro moderato: Grazioso
       第2楽章 Lento
       第3楽章 Fuga



(管弦楽)デトロイト交響楽団
(指揮) アンタル・ドラティ
     ♪ 私が聴いた音源 ♪




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