 【 レクイエム ハ短調 】
ハイドン,ヨハン・ミヒャエル 〔墺〕 (1737.09.14〜1806.08.10) 68歳

ヨーゼフ・ハイドンの5歳年下の弟の、 ヨハン・ミヒャエル・ハイドンは、284年前の 9月14日にローラウで生まれた。
兄と同じウィーン聖シュテファン教会の聖歌隊で 歌う傍ら、オルガン、ピアノ、バイオリンを学んだ。
教会のオルガニストとして活躍したが、 1800年にザルツブルクがフランス軍に占領され、 長い宗教国家としての歴史を終え、 彼の晩年は不遇だった。 わずかに1804年、王立スウェーデン音楽アカデミーの 会員に選ばれたことが、失意の彼を慰めた。
ウェーバー、ヂィアベリなど多くの弟子を育てたが、 ヂィアベリは師のために、葬送行進曲を作曲した。 24歳年下のモーツァルトの父とザルツブルクの 楽壇の同僚で、モーツァルト一家と親交があり、 モーツアルト父子の手紙に、彼の名前がよく書かれていた。
作品としては、約360曲の教会音楽を作曲したが、 交響曲、協奏曲、オペラ、室内楽なども多く残している。
彼は、ザルツブルグを終生離れることなく、 1806年に当地で68年の生涯を閉じた。
「レクイエムハ短調」は、ザルツブルグの 大司教ジークムント三世の死に際して作曲された。
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