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...... 2021年07月05日 の日記 ......
■ 《 父との別れ 》   [ NO. 2021070501-1 ] or

【 アディオス・ノニーノ 】

ピアソラ,アストル 〔アルゼンチン〕
(1921.03.11〜1992.07.05) 71歳 脳血栓



ピアソラは、イタリア移民三世の子として
アルゼンチンのマルデルプラタで生まれた。
3歳のときに家族と共にアメリカに渡り幼少時代を、
ニューヨークで過ごした。

9歳の誕生日にバンドネオンを贈られ、
これが彼の一生の仕事を決めることになった。
15歳のときに一家は、再びアルゼンチンに戻った。

バッハやラフマニノフの熱心なファンだった
ピアソラは、33歳の時、クラシックの作曲家を
目指し、フランスに留学した。
そのとき、初めての女性指揮者としても活躍していた
ブランジェに師事したが、彼女の助言により
自らの音楽はタンゴであることを認識しした彼は、
翌年にアルゼンチンに帰国した。

ヴァノスアアイレスのタンゴバンドで、
バンドネオン奏者として活躍し、一方で作曲家
ヒナステラなどから、音楽理論も教わって、
タンゴのリズムを基調に斬新なリズムと和声を
用いたピアソラ独特の世界を作り上げ、
それまでのタンゴの常識を覆すようなクラシックや
ジャズを取り入れた、新しいタンゴを創造し
演奏活動を開始した。

タンゴを革命的に進化させたピアソラだったが、
あまりにも最先端をいくその音楽についていけない
人たちからは、「タンゴの破壊者」「頭が狂っている」
などと言われ、本場アルゼンチンの
オールドファンには、ピアソラの音楽をタンゴとして
認めていない人もいたりした。

1960年には、その後の生涯の音楽活動の
基盤となるスタイルである五重奏団「キンテート」を
結成したが、1974年、ヨーロッパに拠点を移し、
ジャズ、ロックの表現を取り入れた活動を行った。

1978年にアルゼンチンに戻り「キンテート」を
再結成し、以後10年にわたり安定し充実した
活動は続き、82年以降、計4回来日している。

1988年「キンテート」を解散し、
心臓の手術を受けたが、2年後パリで脳血栓で倒れ、
さらにその2年後の7月5日にブェノスアイレスで
71年の生涯を閉じた。

「アディオス・ノニーノ」は、1959年に
亡くなった父のビセンテ・ピアソラの死に際し、
別れの気持ちを込めて作曲し、父に捧げられた。

初録音は「キンテート」によるものだが、
様々な編曲による演奏の録音が残されている。



(バンドネオン)ダニエル・ビネリ 
(管弦楽) モントリオール交響楽団
(指揮)  シャルル・デュトワ  
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





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