 【 童謡「叱られて」】
弘田龍太郎〔日〕 (1893.06.30~1952.11.17) 59歳

親しみやすい多くの童謡を作曲した弘田龍太郎は、 明治25年6月30日に教育者の父親と一弦琴の 名手だった母親のもと、高知県安芸市で生まれた。
三重県津市で過ごした中学生時代には、すでに 音楽的才能を発揮し、後に東京音楽学校で学んだ。 在学中に「七つの子」の作曲家、本居長与に師事し、 童謡の作曲に手掛けるようになった。 卒業後は児童文学雑誌「赤い鳥」に協力した。
昭和3年にベルリンに留学し、ピアノと作曲を 研究し、帰国後は母校の教授に任命されたが、 作曲活動に専念するために、二カ月で退職した。
子供と音楽を愛した弘田龍太郎は、作曲のかたわら NHKラジオの子供番組や児童合唱団を指導した。 晩年は幼児教育に力を注ぎ、リズム遊びなどの 指導にあたった。 オペラや歌曲、仏教音楽、舞踏曲なども残している。
大正9年に雑誌『少女号』に発表された 「叱られて」は、清水かつら(1899~1951)の 歌詞だが、二人で作った曲は他にも「雀の学校」 「靴が鳴る」など多くある。 「春よ来い」(相馬御風作詞)など、数々の代表作を 作曲したのは、20代後半から30代前半のことで、 詞の内容や感情を生かした素朴で柔らかい曲想は いつまでも広く愛されている。
叱られて
叱られて 叱られて あの子は町まで お使いに この子は坊やを ねんねしな 夕べさみしい 村はずれ こんときつねが なきゃせぬか
叱られて 叱られて 口にはださねど 眼になみだ 二人のお里は あの山を 越えてあなたの 花の村 ほんに花見は いつのこと
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