【 箏曲「小督(こごう)の曲」】
山田検校 〔日〕 (1757.04.28〜1817.04.10) 60歳
江戸時代後期の筝曲家の山田検校は、尾張藩の 宝生流能楽師の三田了任を父に、モーツァルトが 生まれた翌年の4月28日に江戸に生まれた。 本名は斗養一(とよいち)
幼いときに失明したが、山田松黒(医師)に師事し、 後年、山田流箏曲を興した。 山田検校の母方の姓も山田だった。
当時、江戸人の好みに合うように浄瑠璃の 旋律を取り入れたことで人気が出て、 多くの門弟に慕われて発展していった。
その功績で、室町以降に目の不自由な人に 与えられた最高の官名「検校」を授けられた。 (この制度は明治時代に廃止された)
箏曲の二代流派の一つの「生田流」は、 『三味線(地唄)』との合奏を取り入れているが、 「山田流」は、唄の内容を重視した流派である。
彼の 処女作は「江ノ島の曲」だが、山田検校の 全作品は36曲あり、今日も盛んに演奏されている。
「小督(こごう)の曲」「遠野(ゆや)」 「長恨歌(ちょうごんか)の曲」「葵の上」は 山田流の奥許(おくゆるし)の「四つ物」とされ、 劇的内容のある大曲である。
「小督(こごう)の曲」の作詞者は不祥。 歌、箏、三弦、尺八の 楽器構成で演奏される。
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