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...... 2021年04月29日 の日記 ......
■ 《 日本洋楽の功労者 》   [ NO. 2021042901-1 ] o

【 歌劇「ヴォツェック」Op. 16 】

グルリット,マンフレット 〔独〕
(1890.09.06〜1972.04.29) 81歳 



ベルリンの裕福な家庭に生れたグルリットは
18歳でベルリン宮廷歌劇場の補助指導者に、
その後指揮者を経て、34歳で
ベルリン国立宮廷歌劇場音楽総監督に就任した。
その間、ベルリン放送局の指揮者、
高等音楽学校の講師も兼ねていた。

しかし、1933年にナチスにより音楽活動を
禁止され、迫害を避けるためナチスに入党するが、
この履歴が後の悲劇的な人生の伏線となった。

「亡命時代の私の沢山の作品がせめて私が死ぬ前に、
祖国でもう一度、聴かれ、おそらく後何年かの静かな
引退人生を送れることが、私の衷心からの望みです」

65歳のときに、故国に宛て弁明書を提出したが、
ナチス入党の事実を理由に、名誉回復は出来なかった。
75歳のころから視力障害を起こし、
演奏活動を停止し、49年前の4月29日に
東京で81年の生涯を閉じた。

1939年に来日したグルリットは、東京で
「藤原歌劇団」の指揮者やグルリット・オペラ協会の
主宰者として、長年にわたりわが国のオペラ界の
育成に尽くした日本洋楽の功労者である。

ソプラノ歌手の日高久子と結婚したのは
62歳のときだった。

18場の悲劇「ヴォツェック」は、1926年
4月26日に、ブレーメンで初演されたが、
その4ケ月前にベルク(1885〜1935)が
ベルリン国立歌劇場で初演していた。

二人はお互いに知らずして、ほぼ同時期に
作曲を進めていたことになる。

ドイツの劇作家ゲオルグ・ビューヒナー
(1813〜37)の代表作である「ヴォイツェック」を
オペラ化したもので、グルリットは18場面、
ベルクは15場面で書いている。

情婦を殺して死刑になった実在の人物の
ヴォイツェックを主人公としたオペラである。





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