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...... 2021年04月27日 の日記 ......
■ 《 物憂い表情 》   [ NO. 2021042701-1 ] co

【 ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 Op. 20 】

スクリャービン,アレクサンドル
        ・ニコライエヴィチ〔露〕
(1872.01.10〜1915.04.27) 43歳 敗血症



スクリャービンは外交官の父と、ピアニストの母の間に、
モスクワで生まれたが、生後間もなく母が亡くなり、
叔母に育てられ、ピアノの手ほどきを受けた。

彼の楽風は、第1期にはショパンの影響の濃い
ロマンティックな様式を示し、美しいピアノ曲を
書いていて「ロシアのショパン」と呼ばれた。

作品40番を過ぎて作品53番くらいまでの第3期は、
ワーグナーの影響を受けて神秘主義に近づき、
思想的にもこのような傾向を示した。

モスクワ音楽院で院長のタネーエフに師事したが、
同級生にはラフマニノフがいて、彼は作曲家として、
スクリャービンはピアニストとして有望視されていた。

しかし、彼は小さな手だったこともあり、
練習のし過ぎで右手を故障し、そのときに左手の
特訓をしていて、左手のための曲を作曲している。
間もなく回復したが、そのころからニーチェ哲学に
心酔したり、宗教や神秘主義の世界に足を踏み入れた。

露暦では、クリスマス生れだったこともあり、
神秘主義や救世主きどりに拍車をかけた。

43歳のときに唇への虫刺されが炎症を起こし、
悪性腫瘍となりそれが悪化し敗血症になり、
106年前の4月27日にモスクワで急死した。

初期の1896年から1897年にかけて作曲した
「ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調」は唯一のピアノ協奏曲で、
ピアノと管弦楽のための 作品は、
他に「プロメテウスー火の詩」しかない。

19歳の頃に、リムスキー=コルサコフ(1844〜1908)の
知遇を得、 生涯に渡る親交を結んでいるが、
この作品において、リムスキー=コルサコフは管弦楽法の
バランスを指摘し、改訂を申し出たが、スクリャービンは
拒否して自分で修正を加えている。

抒情的な表現は、ショパンの影響が感じられるが、
リズム語法や調性の選択、左手の超絶技巧、
簡潔で緊密な楽曲構成、
かげりと愁いを含んだ物憂い表情など、
ショパンとは異なる独自の発想もみられる。

        第1楽章 Allegro moderato
        第2楽章 Andante
        第3楽章 Allegro



(ピアノ)アナトール・ウゴルスキ
(管弦楽)シカゴ交響楽団    
(指揮) ピエール・ブーレーズ 
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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