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...... 2021年04月18日 の日記 ......
■ 《 管弦楽の名手 》   [ NO. 2021041801-1 ] or

【 交響詩「ローマの祭り」】

レスピーギ,オットリーノ 〔伊〕
(1879.07.09〜1936.04.18) 57歳 心臓病



類い稀なるオーケストレーションの名人として
知られているレスピーギの音楽は、師の
リムスキー=コルサコフが鮮やかな水彩画とすれば、
彼は極彩色の油絵に例えられている。

色彩的な管弦楽法、フランスの印象主義音楽、
ドイツ的な構成など、いろいろな面をみせるが、
常に美しさに対する洗練された感覚と
流れるような抒情性をみせる。

作曲家として認められてから、ローマの
サンタ・チェチリア音楽院で作曲を教え、
有能な作曲家を育て、10年後に院長に就任した。

レスピーギの名声は高まり、1932年には
イタリア学士院の会員に選ばれ、34年には
ハンガリー王立アカデミーの名誉教授に任命された。

限りなく永遠の都ローマを心から愛し続け、
演奏旅行以外はローマを離れることがなかった。
1936年の初めに軽い流行性感冒に似た
病気になりそれがこじれて、85年前の4月18日に
心臓病のためローマで生涯を閉じた。
遺体は生地のボローニヤに移され、
市の費用で埋葬された。

レスピーギは「古代ローマ帝国の復権」を訴えた
独裁者ムッソリーニの熱心な支持者だったが、
レスピーギの死の翌月、ムッソリーニは
エチオピア併合を宣言し、2年後には
ユダヤ人迫害が始まっている。

レスピーギの創作期の頂点に作曲した交響詩の
代表作“ローマ3部作”

「ローマの噴水」(1916年)
「ローマの松」(1924年) 
「ローマの祭」(1928年) 

古風な旋法を曲に取り入れ、古代イタリアの
栄光を音楽に再現している。

最後の作品の「ローマの祭」は、古代ローマ、
ロマネスク、ルネサンスおよび現代のローマの
祭りを各4部でそれぞれ扱った。

作品は、大管弦楽の効果を極限まで追求しているが、
すでに管弦楽法に対して熟達の境地にあったものの
この曲で、さらに管弦楽の音と色彩の音と色彩の
最大限度の可能性を示したともいわれている。

それだけに管弦楽は、これまで以上に拡大され、
多種の打楽器も要求し、かなり写実的な
効果をねらっている。

レスピーギらしい過去への強い郷愁と、
イタリア的な歌う叙情性も秘められていて、
大編成の線的な管弦楽法によりながらも、少しの
乱れさえも感じさせない力のこもった作品である。

4部からなるが、各部を続けて演奏するように
書かれている。

       第1楽章 Circenses「チルチェンセス」
       第2楽章 Il Giubileo「五十年祭」
       第3楽章 L'Ottobrata「十月祭」
       第4楽章 La Befana「主顕祭」



(管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団
(指揮) 岩城宏之          
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





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