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...... 2021年03月26日 の日記 ......
■ 《人類愛の人》   [ NO. 2021032601-1 ] ch

【 弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 Op. 135 】

ベートーベン,ルードヴィヒ・ヴァン 〔独〕
(1770.12.16〜1827.3.26)  56歳



ベートベンの晩年は、増々悪化する耳の病に加えて、
心労が多かった。
彼は自分の生活が安定してから、故郷にいる
2人の弟カルルとヨハンをウィーンに呼び寄せて
面倒をみて世話をした。

カルルの死後、遺書によりそのひとり息子
(同名)の後見人となった。
ところが母親がそれに応じなかったために
裁判ざたになり、勝訴によってカルルを
引き取ったが、彼は素行が悪く、学業も怠り、
ベートーベンの父親らしい愛情は通じず、
死ぬ日まで苦しみ悩まされた。

「伯父が僕を善人にしようとしたために、
僕はかえって悪人になった」カルルは借金のため、
ピストル自殺を企てたが、未遂に終わった。
それは、ベートーベンが亡くなる前年のことだった。

「辛抱しながら考える。一切はなにかしら
よいものを伴ってくる」4度目の手術を待ちながらの
「手記」であるが、よいもの・・・それが苦しいことのみ
多かった生からの解放・・・それは死であった。
1827年3月26日午後5時ごろ、嵐と雷鳴の
荒れ狂うなか、ベートーベンは息を引き取った。

「諸君、喝采したまえ、喜劇は終わった」
これが最後の言葉であったといわれ、瀕死の
ベートーベンは、虚空をつかむように、病床から
起き上がって拳を握って世を去ったといわれている。

あらゆることを辛抱しながら、考え続けた人間の
最後に相応しい情景であるといえるのだろうか・・・

愛する母には早く死に別れ、生涯をともにする
女性もなく、悩みと病と貧とに苦しまされ、
心からの愛情をそそいだ唯一の身内の甥の愛さえ
得られずに、大きな世の変動と戦いぬいた。

ただひたむきに、人々のためによかれと念じつつ、
心の火を燃やし続け、苦しんで生きることが
幸福であると大きな諦めに達していた。
彼ほどたくましい意志力をもって、世界苦、
人生苦に立ち向かった人類のチャンピオンは
なかったのかもしれない。

7月の末に自殺未遂事件をおこした甥のカールを
連れて、弟ヨハンの家に赴き、そこで書き上げた。
心からの愛情を注いだカールのために、
希望の軍隊勤務につくため奔走し、二人は12月の末
ウィーンに帰ったが、帰途の寒さも影響して、
ベートーベンの健康は悪化していった。

この曲は、一連の四重奏曲の中では最も規模が
小さく、楽章も4楽章に戻り、簡明な構造からなる。

他の後期の作品にはみられない不思議なほど
解放的な明るさ、透明さは魂の舞踏を
思わせるものがあるが、第3楽章だけは、
晩年特有の精神的な深さを示し、
重厚にのしかかってくるものがある。

弦楽四重奏曲は全16曲を作曲したが、
1826年の10月に完成した「第16番」は、
亡くなる前年の10月に完成されたが、
ベートーベンのまとまった作品としては
最後の作品となった。

友人のヴォルフマイヤーに捧げられ、初演は
ベートーベンの死後1年後目の1828年
3月23日に行なわれた。

第1、第2、第4楽章の開放的な明るさ、
透明さは魂の舞踏を思わせる。
第3楽章だけは、精神的深さを示して重厚に
のしかかってくる。

第4楽章 には「ようやくついた決心」という
標題がつけられていて「そうなければならぬか?」
「そうなければならぬ」と動機が書かれている。

初演は、死後1年目の1828年3月23日に
行われ、友人のヴォルフマイヤーに贈られた。

      第1楽章 Allegretto
      第2楽章 Vivace
      第3楽章 Lento assai,cantante e tranquillo
      第4楽章 Der schwer gefasste Entschluss



(演奏) ヴェーグ四重奏団
    ♪ 私が聴いた音源 ♪





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