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...... 2021年03月08日 の日記 ......
■ 《 試みの序曲 》   [ NO. 2021030801-1 ] or

【 序曲「ローマの謝肉祭」Op. 9 】

ベルリオーズ,ルイ・エクトル 〔仏〕
(1803.12.11〜1869.03.08) 65歳



ベルリオーズの音楽は、父のフルートで独習し、
一般教育も父の手によってなされ、
学校には行かなかった。

父親が地方の名家の医師ということもあって、
18歳のときに、大学入学資格試験に合格し、
パリで医学を学んでいたが、オペラに夢中になり
音楽家にな ろうと独学で音楽の勉強を始め、
後にパリ音楽院で、オペラと作曲を学んだ。

1830年 にローマ大賞を受賞したベルリオーズは、
賞金を得て、ローマに留学した。

ベルリオーズは24歳の無名のころ、有名な
女優ハリエット・スミッソンに心を奪われた。
絶望的な恋は、創作力への刺激となって働き、
生まれたのが「幻想交響曲」と 抒情的モノドラマ
「レリオ、または生への回帰」である。

30歳のとき、両親の反対にもかかわらず
2人は結婚したが、そのときの立ち会い人の1人が、
すでに有名だったリストだった。

しかし、7年後には別居生活にはいり、国外の
演奏旅行には、歌手のマリー・レチオを伴うようになり、
後に彼女とは再婚した。

1854年にハリエットの死、その8年後にマリーの死、
さらに5年後にハリエットとの間の子どものルイが死に、
ベルリオーズは孤独感をつのらせた。

リストの好意で行なわれたオーストリア、ドイツ、
ロシアの演奏旅行が最後となり、一生を波瀾の
多い戦いのうちに過ごした彼は、152年前の
3月8日に苦悩に満ちた65年の生涯を閉じた。

「ローマの謝肉祭」は、34歳のときに作曲した
歌劇「ヴェンヴェヌート・チェリーニ」の第2幕の
序曲として発表した。
天才彫刻家のヴェンヴェヌート・チェリーニを
題材とした作品だが、初演は失敗に終わった。

一般には受け入れられなかった作品だったが、
ヴァイオリンの名手のパガニーニは感激し、
経済的に破滅の一歩手前だったベルリオーズに
2万フランを贈り、創作を励ましたといわれる。

一般に歌劇では、第1幕の前に大きな序曲を置き、
各幕間の前には、それぞれ短い前奏曲が
演奏されるのが普通であるが、ベルリオーズは
第2幕の前に大きな序曲を、珍しくかつ興味ある
試みとして作曲した。

この序曲は非常にすぐれていたため、後に独立して
序曲「ローマの謝肉祭」として、管弦楽演奏会の
プログラムに加えられるようになった。

この曲は、第1幕の最後の場面に使われた
イタリアの郷土舞踊「サルタレロ」を中心の
主題として書かれた、大変華麗な作品である。



(管弦楽)フランス国立管弦楽団  
(指揮) アンドレ・クリュイタンス
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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