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...... 2021年02月15日 の日記 ......
■ 《 皇帝に捧げた命 》   [ NO. 2021021501-1 ] o

【 歌劇「イワン・スサーニン」Op. 4 】

グリンカ,ミハイル・イヴァノヴィチ 〔露〕
(1804.6.1〜1857.2.15)  52歳 



近代ロシア国民音楽の父と呼ばれたグリンカは、
地主の父の息子として、ロシアのユモレンスク州で
生まれ、少年時代を生地の村で過ごした。

近くに住んでいた叔父が、農奴で作った小編成の
吹奏楽団をもっていて、グリンカの家の
催しごとのときなどには、この楽団がやってきて、
ロシア民謡の編曲などを演奏した。

少年時代にこうした民謡に親しんだことが、
やがて彼を国民音楽の創造に向かわせた
第一歩であったろうと、後にグリンカは〈自叙伝〉の
中で回想している。

164年前の2月15日に、対位法の研究のため
滞在していたベルリンで客死した。

国民オペラの創始者でもある、グリンカの最初の
作品となったのが「イワン・スサーニン」である。

グリンカ以前の歌劇を中心とした芸術音楽は、
イタリアの作曲家のものか、イタリア風の手法で
作曲したロシア人の作曲家のものしかなかった。

そこで、彼は基本的にはイタリア歌劇の形式を用い、
ロシア民謡の特色の濃い旋律によって作曲した。
また、同じスラブ民族であるポーランド人の
音楽要素も取り入れていて、ロシアとポーランドの
民族音楽を対比させ、効果的に劇の進行をさせている。

「イワン・スサーニン」は、1836年11月27日に
ペテルブルグの宮廷歌劇場で初演された。
そのときニコライ一世の命により、
題名を「皇帝に捧げた命」と改めさせられた。
しかし、ソビエト政権になってからは
「イワン・スサーニン」の名に復した。

1613年、ロマノフ王朝成立期の動乱時代の
ヴォルガ河に沿った町コストロム近くのドムニン村と
モスクワを舞台に、物語りは展開される。

登場人物は、皇帝の命を救うためポーランド兵に
殺されるイワン・スサーニンと娘のアントニーダ、
許婚、養子の4人で、序曲と第4幕、エピローグで
構成された作品である。

戦いの合唱「わが祖国ロシア」 で幕があがる。
第4幕で、殺されるスサーニンが悲痛な思いで
歌う「さし昇る私の太陽よ」は、有名なアリアである。



* 「イワン・スサーニン」 序曲 *

(管弦楽)スイス・ロマンド管弦楽団
(指揮) エルネスト・アンセルメ 
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





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