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...... 2020年12月17日 の日記 ......
■ 《 オペラ・ブッファ 》   [ NO. 2020121701-1 ] e_o

【 オペラ「秘密の結婚」】

チマローザ,ドメニコ 〔伊〕
(1749.12.17〜1801.01.11) 51歳 胃癌



「イタリアのモーツァルト」といわれた、十八世紀の
後半における代表的喜歌劇作家のチマローザは、
モーツァルトが生まれる7年前の12月17日に
ナポリ近郊のアヴェルサで生まれた。

父はレンガ職人、母は洗濯婦という貧しい
家庭に生まれ、早くに父と死に別れたチマローザは、
近くの僧院の神父からオルガンを習った。
11歳のとき楽才を認められて、ナポリの
サンタ・マリア・ディ・ロレト音楽院に入学を許可され、
そこで11年間学び、作曲家となった。

最初のオペラがナポリで上演され、続いて
ローマでも次々と初演されると、チマローザの
名前は一躍ヨーロッパで有名になり、ナポリの
王宮教会のオルガニストの地位についた。

38歳のときに、ロシアのカテリーナ二世の
宮廷作曲家としてペテルスブルグに赴いた。
4年後には、オーストリアのレオポルド二世の
招きで、アントニオ・サリエリの後任として
宮廷楽長などを経て、ナポリ王の宮廷楽長も務めた。

オペラ「秘密の結婚」を書いたのは1792年で
サリエリの後を継いだ年である。

その後、ナポリで暴動が起き、ナポリ王の国外逃亡、
フランス共和軍のナポリ占領、そして後に
王が帰国しブルボン王朝が復活した。

急進的思想の持主であったチマローザは、
ナポレオン軍がナポリに進駐してきたのを歓迎して
讃歌を作曲していたので、1799年の
ナポリ共和国設立運動に加わったかどで
捕らえられ、死刑の宣告を受けて、牢獄に監禁された。

だが、ロシア宮廷からの申し入れによって、
チマローザは釈放され、ナポリから追放された。

52歳のとき、ペテルブルグへ赴く途中に
ヴェネチアで生涯を閉じたが、監禁により
健康を害したのが命取りとなったといわれている。

チマローザは76曲におよぶ多数の歌劇や
レクイエム、オラトリオ、ソナタ、オーボエ協奏曲などを
書いたが、どの曲も美しい旋律が印象的で、
同い年のゲーテは彼の音楽を賞賛していた。

このころのオペラはオペラ・ブッファ(喜歌劇)と
呼ばれるものだったが、彼はこの分野に真価を発揮し、
機知にあふれた明るさや豊かな旋律は、
モーツァルトに匹敵すると評価する向きもある。

チマローザは76曲におよぶ多数の歌劇を残しているが、
その代表作とされるオペラ「秘密の結婚」を書いたのは、
1792年にサリエリの後を継いだ年である。
作曲の年の2月7日にウィーンで初演された。

裕福なボローニャの商人ジェロニモの家を舞台に、
父には内緒で秘かに結婚している妹娘のカロリーナと、
若い法律家パオリーノが、結婚を認めてもらうために
姉娘のエリゼッタとロビンソン伯爵の仲を取り持つ。

紆余曲折あるものの、最後には二組の結婚式が
行なわれ、めでたく幕となる。



オペラ「秘密の結婚」- 序曲

(管弦楽)ローザンヌ室内管弦楽団
(指揮) アルミン・ジョルダン 
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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