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...... 2020年12月04日 の日記 ......
■ 《 シンフォニア・ダ・レクイエム 》   [ NO. 2020120401-1 ] e_sy

【 鎮魂交響曲 Op. 20 】

ブリテン,エドワード・ベンジャミン〔英〕
(1913.11.22〜1976.12.04) 63歳



現代イギリスの代表的作曲家のブリテンは、
父は歯科医、母はソプラノ歌手で、音楽の才能は
この母親から受け継いでいる。

44年前の12月4日に、サフォーク州の
オールドバラで63年の生涯を閉じた。

ロンドンの王立音楽院を卒業後は、生活のために
記録映画の音楽を担当したり、多方面に活躍した。
しかし、彼は反軍国主義、反戦主義を貫き、
ヨーロッパの不穏な国際情勢を避けて
1939年にアメリカに渡った。

彼は兵役を拒否したり、テノール歌手の
ピーター・ピアーズとの同性愛を生涯貫いたりして、
常に社会と摩擦を起こし、反抗の姿勢を弱めなかった。

1940年(昭和15年)に日本政府は皇統2600年奉祝の
管弦楽作品の作曲を数カ国に政府を通じて依頼した。
その一つとして、イギリス政府筋はアメリカに
滞在していたブリテンに日本の紀元2600年を祝う
作品の作曲を委嘱した。

ブリテンは、その祝典用の曲が国威の発揚のために
利用されるものではないことを確認すると共に
3楽章の概要を示し、承諾を得た後に
作品を完成し、提出した。

しかし、諸般の事情により、1940年12月8日
午後1時から東京歌舞伎座において催された
奉祝演奏会では、イベール、リヒャルト・シュトラウス、
ピツェッティ、ベレシュの4作品のみが演奏された。

後に1956年(昭和31年)にNHKの招きで
初めて来日したブリテンは、「鎮魂交響曲」の
日本初演ということで2月18日にNHKホールで、
放送録音のためNHK交響楽団を指揮をした。

ブリテンが作曲をした動機は、相次いで失った
両親の霊を慰める意向が主だったようで、
出版されたスコアには「両親を追悼して」と
記されていた。

       第1楽章 Lacrymosa (涙の日)
       第2楽章 Dies Irae (怒りの日)
       第3楽章 Requiem aetemam
            (永遠の安息をあたえたまえ)



(管弦楽)バーミンガム市交響楽団
(指揮) サイモン・ラトル   
      ♪ 私が聴いた音源 ♪





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