[PREV] [NEXT]
...... 2020年12月05日 の日記 ......
■ 《 最後の年 》   [ NO. 2020120501-1 ] co

【 ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K.595 】

モーツァルト,ヴォルフガング・アマデウス〔墺〕
(1756.01.27〜1791.12.05) 35歳



わずか35年の間に、600を越す作品を作曲した
モーツァルトが最後の年の1月5日に完成した
「ピアノ協奏曲 第27番」は、純粋器楽曲の一つで、
気品があり水晶のように透明で、しかも
がっしりとした構成をそなえている。

しかし、このときモーツァルトは病気の妻と
子どもをかかえ、貧困のなかにいた。
以前は彼の無心に応じていた友人たちも、度重なる
要求には応じきれず、また貴族たちもただ一人として、
見捨てられた食うや食わずの音楽家など
かえりみようとはしなかった。
そのため、あらゆる貴重品を抵当に入れ、
たえず金貸商に行っていた。

6月に入って、歌劇「魔笛」をほぼ完成し、
保養中の妻子を迎えにバーデンに赴き、寄寓先に
教会用の小品「モテット アヴェ・ヴェルム・コルプス」を
贈っている。
7月26日には末子ヴォルフガング生まれた。

この月に、未知の男がモーツァルトを訪れ、
「レクイエム」を依頼して帰った。

8月、神聖ローマ帝国皇帝レオポルド二世が
ベーメン(ボヘミア)王も兼ねることになり、
プラハでの戴冠式のため、オペラ・セリア
「ティトウスの慈悲K.621」を依頼された。
弟子のジュースマイアの協力で、18日間で作曲し、
妻とプラハへ出かけた。

9月6日に行われた「ティトウスの慈悲」の初演は、
不成功に終わり、中旬プラハを淋しく去った。
体は、この頃いちじるしく衰えていた。

出来上がった「魔笛」を、9月30日に自らの
指揮で初演し、成功は日ごとに加わっていった。

しかし10月になって病状が悪化し、11月20日
再起不能の床についた。
それでもなおペンをとったが12月4日、作曲していた
「レクイエム」は、8小節で途絶えてしまい、
5日午前0時55分に35年の生涯を閉じた。
翌6日、聖シュテファン教会でミサがあげられた後、
見送る者もなく、聖マルクス共同墓地に葬られた。

自分の死を決して悲しいとも、いたましいとも
思ってなかったとあるが、モーツァルトは死について
「それは全く神の摂理であり、人間は神を信頼して、
その手に生死をゆだねるべきものだ」と硬く信じていた。

3楽章からなる「ピアノ協奏曲 第27番」は、
モーツァルトの最後のピアノ協奏曲となった。
長調の曲だが、物悲しい雰囲気の曲である。

第1楽章と第3楽章には、モーツァルト自身の
カデンツァが残されている。

          第1楽章 Allegro
          第2楽章 Larghetto
          第3楽章 Allegro 



(ピアノ)マリア・ジョアン・ピレシュ
(管弦楽)モーツアルト管弦楽団   
(指揮) クラウディオ・アバド   
       ♪ 私が聴いた音源 ♪





...... トラックバックURL ......
  クリップボードにコピー

...... 返信を書く ......
[コメントを書く]
タイトル:
お名前:
メール:
URL:
文字色:
コメント :
削除用PW:
投稿キー: