【 ピアノ協奏曲 第2番 】
ヴィラ=ロボス,エイトル 〔ブラジル〕 (1887.03.05〜1959.11.17) 72歳
ブラジルを代表する作曲家であり、ギタ−曲の 大家としても不滅の存在であるヴィラ=ロボスは、 リオ・デ・ジャネイロで生まれたが、そのころ ブラジルは大きな変革が起きようとしていて、 翌年には奴隷が完全解放され、 1889年に帝政が崩壊し、連邦共和国へ移行した。
不安定なこの時期、まだ戸籍制度が 確立してなかったため、ヴィラ=ロボスの 生年月日についても正確なことは分かってなかったが、 教会に保管されていた洗礼記録から判明した。
作家でアマチュア音楽家であった父から音楽を学び、 ピアノをはじめ各種の弦楽器、特に ブラジル・ギターの演奏に熟達した。
少年時代は正規の音楽教育を受けることに抵抗し、 仲間とカフェや小劇場などで演奏するのを 日課としていたが、20歳になる前から放浪生活を始め、 民謡の採集をしていたが、25歳のときに大がかりな ブラジル奥地の風俗・音楽の調査を行い、 ブラジル音楽の特異な性格にふれて、その後自らの 作品に強い民族的個性を打ち出すようになった。
1923年から1930年フランスに留学し、 ロンドン、ウィーン、ベルリンなどにも訪れた。 この時期、ドビュッシーの影響を強く受けている。 アンドレス・セゴビアとの運命的な出合いも この時で、後に彼のために作曲をしている。
帰国後は、音楽院と音楽アカデミーの設立に携わり、 指揮者、大学教授としてブラジル楽壇の 指導的立場にいたが、61年前の11月17日に 生地のリオ・デ・ジャベイロで72年の生涯を閉じた。
ヴィラ=ロボスの作風は、ブラジル原住民の音楽に 根ざした野性的なものが多い。
番号がついた「ピアノ協奏曲」は5曲残しているが、 それらは全て国際的評価を得てからの安定した 1945年以降に書かれている。 第2番は1948年の作品で4楽章からなる。
1953年4月23日にサル・ガヴォー (パリの由緒ある音楽ホール)において ヴィラ=ロボスのの指揮で初演されている。
第1楽章 Vivo 第2楽章 Lent 第3楽章 Cadencia Quasi Allegro 第4楽章 Allegro
(ピアノ)クリスティーナ・オルティス (管弦楽)ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 (指揮) ミゲル・ゴメス=マルティネス ♪ 私が聴いた音源 ♪
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